2012年7月15日学習内容
地上人類への最高の福音
2章悟りは苦しみの中から生まれるのです(P46~P51)→
ニューズレター2号
魂の成長は地上の苦難をプラス思考で乗り越えることによってなされます→
学習のポイント
人は誰でも「幸せになりたい」と願っています。苦しみや困難は不幸なことであり、自分や家族がなるべく苦難に遭遇しないように、できるだけ平穏無事な生活を送ることができるようにと祈ります。地上のほとんどの宗教は、神や仏にすがれば苦難から逃れることができ、熱心な信仰によって幸せに至ると説いています。
しかしシルバーバーチは「苦難や危険や困難から逃避しようとする人が、私には理解できません」(P47)と言っています。シルバーバーチは「苦しみや困難」に対して、これまでの宗教とは正反対のことを説いています。スピリチュアリズムでは、苦しみや困難は避けるものではなく、むしろ歓迎すべきものなのです。なぜならば苦難は、不幸な出来事ではなく、地上人生の最大の目的である「魂成長」のためになくてはならないものだからです。
ここに地上人と霊界人の見方の大きな違いがあります。霊界人は常に永遠の霊的視点に立って判断していますが、地上人は目の前のこと(今の地上人生)しかわかりません。シルバーバーチは、次のように言っています。
「そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとで見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。」(P48)
地上での苦難がいかにありがたいものであったかを知るのは、死後、霊界に戻って自分の地上人生を振りかえったときだと言うのです。つまり、「明確な視野」という霊的視野で見たとき、やっと苦難は不幸ではなかった、と実感できるのです。
私たちはスピリチュアリズムによって、地上にいながらにして「霊的視野」を持つことができるようになりました。もちろん完全な霊的視野ではありませんが、霊的真理を知らない多くの地上人に比べたら、はるかに霊的視野が開けています。
霊的視野を持ったスピリチュアリストは、自分や自分の周りに起こってくる苦難について避けようとするのではなく、しっかりと受け止め、正しく対処していかなければなりません。それができるかどうかでスピリチュアリストの真価が問われるのです。
苦難に直面したとき、あっさりと自分の感情や地上的な判断に流されたなら、霊的真理を学んだ意味はありません。苦難に遭遇したときこそ、霊的真理に必死にしがみつき、ただひたすら自分を真理にそわせる努力をして、乗り越えていかなければなりません。
“死後の世界がある”“永遠の霊的人生から見ればこの苦しみは一時のものである”“この世での地位や名誉や他人の評価などはどちらでもよい”といった基本的な真理を思い出し、心を整理し対処していくのがスピリチュアリストです。
苦難は、摂理の一環です。過去の摂理違反がカルマとなって、それを清算するために起こってきます。「苦難」は霊的成長への大きなチャンスなのです。人情や感情に頼らず、霊的真理を支えとして勇気を持って歩んでいくのがチャンスを活かす最も賢明な歩みです。人に理解されたいと思うのではなく、神と霊界の人々がわかってくれればいい、と心を治めていかなければなりません。
霊的真理を知ったからと言って苦難がなくなるわけではありません。私たちはこれからも必ず苦難に遭遇していきます。シルバーバーチは「進化とは不完全なものが少しずつ完全になっていくということを意味するのですから、それは当然、苦をともなう過程であるはずです。」(P50)と言っています。
永遠の霊的成長の道を歩むということは、進化へ向けての苦難の連続です。外部との関わりの中で生じる苦難もあれば、内面葛藤という、より厳しい苦難もあります。神が与えてくださった「成長の道」は、艱難辛苦を乗り越えてこそ得られるものです。この地上人生を、霊的真理という最高の武器を手にして歩み通してこそ、最高の喜びを持って霊界へ戻ることができるのです。
参加者の感想
今日の学習で心に残っている言葉は、ニューズレターの「苦難に直面した時こそ、自分をひたすら真理に従わせる生き方が必要」というところです。スピリチュアリストとして真理にそえるかそえないかが1番の分かれ目で、大切なところだと思って努力しています。
また、シルバーバーチの「信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです」という部分では、シルバーバーチから直接言われているようで涙が出そうになりました。
地上の評価や名声よりも背後の霊からの愛を信じて、真っ直ぐに生きていきたいと思いました。
今までずっと、争い事を起こさずに人とうまく付き合っていくのがよいことだと思っていました。真理に関係する話が出たときも、内心では「違うんだけどな・・・」と思ってもその場に合わせたり聞き流したりしていました。これからは、どうしても譲れないときは、きちんと主張しようと思いました。
今日、苦しみの意義をあらためて確認して「霊的成長のために苦しみを与えてください」と祈ってみようと思いました。
大学の哲学の授業に出席したときのことを思い出しました。人生は苦か楽かという話になって、生徒は楽だと言い、教授は苦だと言って、すごい議論になりました。今日学んで、苦があっても、それをよいものとして受け止めることが大切だと思いました。苦がきたときは、それを正面から受け止め、霊的真理から眺め、自分の魂を高めていくことができれば、と思いました。
生活の中ではいろいろな問題があるのですが、あまり物事に動じなくなりました。以前は苦しんでいたことも、今はあまり苦になりません。たいへんさは同じですが、苦しむことなくやっていけるようになりました。自分が冷たい人間になったのかなと思うこともありますが、スピリチュアリズムに対しては熱い闘志を燃やしていきたいと思っています。
真理を知らないときは、苦しみから逃げたいと思っていました。しかし真理を知って、苦しみから逃げないようにしようと思ったとき、勇気や知恵がわいてきました。見えない力で守られていることを感じます。
神と摂理ということが、以前より整理して理解できるようになって、自分のどこが間違っているのかがシンプルにわかるようになりました。摂理の正しい理解は、広い視野と周りに流されない穏やかな心をもたらしてくれる、ということが少しだけわかるようになってきました。
ニューズレターに「真理に委ねようとしない人は、本質的に自分中心であり、傲慢なのではないでしょうか」とありましたが、自分は傲慢だったと気がつきました。自分は真理にそっているつもりでいましたが、謙虚さを忘れていたと痛感しています。あらためて純粋な気持ちで真理にそっていきたいと思いました。
「苦しみと同じ視野に立っていると、苦しみしか見えない」という言葉が印象に残りました。最近、自分のカラを破ることはたいへんなことだと思っています。今の状況を乗り越えることの難しさを実感しています。
周りの人を見ていると、苦しみがやってきたとき、なるべく楽をしようと思っています。地上に生まれてきたということは、地上人生をうまくやっていくという地上の処世術を学びにきたわけではありません。「バカ正直すぎる」とか「ウソも方便」とか言いますが、霊界はバカ正直だし、ウソも方便もない世界です。自分は、地上の処世術を学びにきたのではないので、世間からはバカ正直だと言われても、そうなっていなかければいけないと思います。苦しみがやってきたら、地上の処世術ではなくて、魂の成長を選べるようになりたいです。
因果律と試練の話がありましたが、「持てる資質を磨き上げようとすれば、試練の炎をくぐり抜けなければなりません」とシルバーバーチは言っています。仕事では苦しみや困難がよくあります。苦しい状況に追い込まれたときは、深呼吸して、自分がやれることをやって、あとは委ねるようにしています。
一日一日、一つ一つをていねいに生きていくということが大切だと思っています。人が苦しんでいるとき、手を貸していいものかどうか迷うことがありますが、一歩高い位置から見て対処していこうと思っています。
苦しみの意義を正しく知り、最大限に活用できるのは、霊的真理を手にしているスピリチュアリストに限られます。その意味で私たちは、本当に恵まれていると思います。苦しみの種類は大きく2つに分けられます。1つは対人関係や周りの環境から起こってくるもの。もう1つは内面的なもので、自分自身の内面コントロールからの苦しみです。
これまで長く勉強を続けていますが、どうしても肉主霊従に引きずられてしまうことがあります。そこから抜け出すには、大変なエネルギーがいります。必死に霊訓を読んで、やっと霊主肉従に戻ることができるということもあります。外から生じてくる苦しみや困難は、ひたすら真理に自分をそわせる努力で乗り越えることができますが、スピリチュアリストにとっての1番の苦しみは、この内面葛藤ではないかと思います。
これからの人生、どのような困難が待ち受けているか分かりませんが、「乗り越えられない苦しみはないこと。寒い冬のあとには必ず暖かい春が訪れること」を信じ、全力で取り組んでいきたいと思います。
苦しみは自分の前世やこれまでの歩みの結果として起こるものがほとんどです。苦しみから一時的に逃げても、自分で乗り越えるまで繰り返されますから、霊的真理を武器として正面から向き合っていかなければなりません。それは大変なことですが、真理実践の大きなチャンスです。
苦しみを乗り越えることは、喜びでもあります。私が心の支えとしているシルバーバーチの言葉の一つに「各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし、同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。」とあり、この言葉に励まされてきました。
苦難を乗り越えることで、霊的成長をすることができ、貢献の場が広がります。より多く貢献できように努力していきたいと思います。