2012年10月21日学習内容

地上人類への最高の福音

2章悟りは苦しみの中から生まれるのです(P60~P64)

 ニューズレター25号

 本物のスピリチュアリズムの確立を!(後半)

学習のポイント

今回の学習の中でシルバーバーチは、“善と悪”という大きなテーマについて語っています。「善と悪は、何を基準にして判断したらよいのでしょうか?」という質問は、私たちも日常の中でしばしば抱くものです。

日常生活を営むためには、さまざまな決まりを守らなければなりません。日本で暮らすためには、国が定めた法律があり、それぞれの地域ならではの決まり事(慣習)があります。大半の人々はそれらを善悪の判断基準として生活しています。もし法律や慣習に反することをすると“悪いこと”として何かしらの罰則が与えられます。しかしこれは地上ならではの決まり事であって、国や地域、時代が変われば“いいこと”と“悪いこと”は違ってきます。

永遠の存在である私たちが拠りどころとすべきものは、地上でも霊界でも通用する「不変の摂理」しかありません。「国家の法律ではなく、大自然の摂理によって裁かれるのです」(P63)というシルバーバーチの言葉が、私たちの生活のすべての基準となるものなのです。ではその摂理の中に“何が善で何が悪なのか”が細かく規定されているのでしょうか?

その質問に対してシルバーバーチは「(善と悪の基準は)一人一人の問題です」(P63)と答えています。さらに、各自の霊的自我の中に絶対に誤ることのない“道義心”という判定装置が組み込まれて、それが正しい方向を示してくれる、と言っています。地上の法律のように細かな決まり事が示されているのではなく、各自の魂が“善と悪”を判定するというのです。(“道義心”は別の箇所では“良心”となっています。“道義心”も“良心”も英語ではconscienceです。)

道義心とは「考えること、口にすること、行うことを正しく導く、不変の指標」(P63)です。人間の魂の中に組み込まれている“神の判定装置”“神の目”と言えるものです。“神の判定装置”は絶対に誤ることはなく、「いかなる問題、いかなる悩みに際しても、その都度自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げてくれます」(P63)。

神の判定装置は、不変の摂理を基準としていることは言うまでもありません。私たちが何かの選択を迫られたとき、心の中の判定装置は、霊的本性から摂理にそう方向を自動的に示します。霊的本性は常に摂理にそおう、魂を成長させようとします。行く手に苦難が待ち構えていることが予想されても、それは必要があってのことであり、魂の成長に結びつくのですから、判定装置は迷わず苦難を選択することを指示してきます。その指示(心の声・道義心)に従えるかどうかは、本人の自由意志にかかっています。指示に従って摂理にそった努力をすれば、霊的成長が促進され“善なる行い”となります。しかし、心の声をもみ消してしまったなら摂理違反となって霊的成長が阻害され、“悪(罪・カルマ)”となります。

私たちは地上人生において、多くの選択をしなければなりません。ときには人生を左右する大きな岐路に立たされることもあります。スピリチュアリズムと出会う前、こうした選択に際して皆さんは、慣習や常識、周りの意見などを参考にしてきたのではないでしょうか。しかし、スピリチュアリズムを知った今は、霊的真理を基準として、より魂を成長させる方向(善)を選ぶことができるはずです。

シルバーバーチが「人間は、時としてもみ消したり、言い訳や屁理屈で片付けようとする」(P64)と言っています。私たちは、霊的真理にそって努力することでしか善を積み上げていくことはできません。大きな勇気と強い意志を持って、霊的成長という神が定めた“善”に向けて一歩を踏み出していきましょう。

参加者の感想

スピリチュアリズムを普及することについて、実績を上げることばかりに気を取られ、利他愛の思いが欠けていたかもしれないと思いました。これからはもっと真心をこめて普及に努めていきたいと思いました。
また、お話の中でリラックスと学習の時間(実践の時間)をメリハリをつけて続けていくと教えていただきました。私は、24時間ずっと緊張していなければならないと思っていて、とてもそれは無理だと感じていました。リラックスの時間があってもいいのだと知って、とても安心しました。ゆったりした気持ちで、これからもスピリチュアリズムを続けていこうと思いました。

スピリチュアリズムを続けていくことの厳しさを感じました。コツコツとやっていけば成長できることを学びましたので、気持ちを新たにして続けていきたいと思います。

「奉仕こそ霊のコインです」とありました。仕事上いろいろな人と接するのですが、相手に手を差し伸べるのに、差し伸べすぎてしまって、その人が自分でやらなければならない分まで自分が手を貸してしまっていることがあります。手を差し伸べるということの加減がとても難しいと思っています。

「スピリチュアリズムは霊界と同じ宗教」というお話がありました。どこにいても人のために役立つことをする、というシンプルな教えが心に響きました。神様が与えてくれた良心がすべての人の心の中にあり、その良心の声に従って魂が成長する生き方を選択していけばいい、という言葉がとてもわかりやすかったです。
人のために…という動機さえブレなければいいという言葉に、大きな安堵を感じました。人のため…と思って行動しても失敗することがありますが、霊界が動機を見ていてくれることに安心しました。

スピリチュアリストとしてさらに前進するために、ブログを書いています。これは人に伝道するだけでなく、自分自身の真理を深める手段でもあると思っていますので、続けていこうと思っています。守護霊とのつながりを深めて、霊的修行と伝道に励んでいきたいです。

「いつどこにいても、人のために自分を役立てることです」という言葉を忘れないように歩んでいきたいと思いました。自分の未熟さや至らなさばかりが目に付いて、こんな自分でも人のために役に立てるのだろうかと思ってしまいます。しかし、そうした自分の至らなさを承知で霊界の人々は応援してくださっているのですから、日々出会う人たちのために役に立っていきたいと思います。

「今地上で必要としているのは、基本的な霊的知識である」とありましたが、なかなか知識を広めようと思っても広がりません。一生懸命伝えようとしても、「用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです」とシルバーバーチは言っています。この言葉で少し安堵します。
今日思ったことは、結果はすぐにでない、ということです。地上で生きている短い時間で考えるのではなくて、死んで霊界にいってから結果がわかる、というくらいの長いレンジで見たほうがいいと思いました。自分を人のために役立てること、それが宗教です、ということですから、日々、人のために役立てるように努力したいと思います。

何より心に深く入ってきた言葉は、「自分を人のために役立てること、それが宗教です。(中略)世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください」というところです。
この二面性は、とても大切だと思います。“魂”というものは、職業や地位・年齢や性別に関係なく笑って(明るく)いたいものだと思っていますし、それが、カルマや試練を乗り越える大きな原動力になるのではないかと思います。私も、職場や家庭で常にそれを実践し、明るく楽しくなるようにしています。もちろん、そこには霊的真理にそう生き方が大前提になっていなければなりません。物質的・利己的という大きな波が行き交う日常ですが、できるだけ「霊中心の生き方・霊的自己コントロール」の努力をしていこうと思います。

自分のレベルアップがスピリチュアリズムのレベルアップに繋がるならば、貢献しなければならないと感じました。自身のレベルアップをすることは、スピリチュアリストとしての責任だと思います。レベルアップのために真理の実践に励むこと、そして霊的真理普及のために努力していきたいと思います。

「教義・儀式、祭礼、経典、ステンドグラスには何の意味もない」「地上の宗教はすべて間違っている。霊界から見たとき合格する宗教はない」といった内容をシルバーバーチは述べています。私は以前、そうした内容を読み、その厳しさに衝撃を受けたことを覚えています。しかし今は違います。この言葉に限らず、シルバーバーチが述べる厳しく、ときに毅然とした姿勢で語る言葉は、すべて私たち地上人の霊的成長を願っての愛の思いから発していることがよく分かります。厳しい言葉を読むと、シルバーバーチから直接、愛の思いを注がれているように感じられ、胸が熱くなることがあります。
他人に厳しい態度で接することは、とても難しいことです。しかし必要性が生じたときには、シルバーバーチのように敢然とした姿勢で臨まなければと思えるようになりました。人類の救いを心から願う霊界の方々と同じ思いがもてるようになりたいと思います。


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