学習のポイント
シルバーバーチは霊訓を通して、それまで地上人に知らされていなかった多くの霊的事実・霊的真理を伝えてくれました。その中の一つが『心霊治療』についてです。今回の章の最後にほんの少し出てきますが、この箇所を理解するためには心霊治療についての深い知識が必要になってきます。学習のポイントとして、概要をまとめてみました。
まず心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)には3種類あることを知ってください。
①ヒーラーの肉体エネルギーを用いて治療する『マグネティック・ヒーリング』
・鍼灸、指圧、マッサージなどの手技療法がこれにあたります
②ヒーラーの霊体エネルギーを用いて治療する『サイキック・ヒーリング』
・気功、レイキ、手当て療法などがこれにあたります
③霊界の医者から送られてくる霊的エネルギーによる治療『スピリット・ヒーリング』
・霊界の医者(霊医)→ 地上のヒーラー → 患者 へとエネルギーが流れる
・本当のスピリチュアル・ヒーリングと言えるのは、この『スピリット・ヒーリング』
“ヒーリング”は、人間が持っているさまざまな能力の一つで、病気を癒す能力です。
シルバーバーチが「人間のすべてが例外なく霊的資質を宿しております」(P250)と言っているように、すべての地上人が肉体と霊体を持っていますから、本来すべての人間に①と②のヒーリング能力があると言えます。しかし、能力があってもその能力を発揮しやすい体質の人とそうではない人がいます。これは生まれつきのもので、ヒーリング能力を発揮しやすい人は『ヒーラーに向いている人』と言えます。ヒーリング能力がある人に患者が接すると「あの人のところに行くと不思議と痛みが和らぐ」という実感を持つことができます。しかし①と②の治療では、完全に治ることはなく、あくまでも一時的な治癒にすぎません。その理由は、①と②では患者に流されるエネルギーが、ヒーラー個人のものだからです。ヒーラー個人のエネルギーには限界があり、患者の肉体部分・霊体部分にしか流れていきませんから、霊まで含めた「患者全体」を治すことはできないのです。
それに対して③の治療は、霊界の医者から患者の霊の部分にエネルギーが流されます。そのエネルギーは一人一人にあった治療エネルギーであり、一番上位にある霊の部分に流されるため、霊肉すべての部分に行き渡り、いわゆる「奇跡的治癒」の可能性があるのです。①と②のヒーリングの主役は地上のヒーラーですが、③は霊医が主役となります。③のヒーラーの役目は、霊医のエネルギーの橋渡しです。③のヒーラーは霊医の道具に徹しきる謙虚さと、人々の幸せのために自己犠牲をいとわない奉仕の精神がなければヒーリングは成立しません。「スピリット・ヒーリング」はスピリチュアリズムを土台とした純粋な霊的奉仕活動なのです。
「スピリット・ヒーリング」でもう一つ重要なことは、その目的です。スピリチュアリズムは人類の霊性向上のためにありますが、その一環としてのスピリット・ヒーリングは、単なる病気治しではなく、地上人の霊的覚醒のためにあるということです。つまり病気が治るか治らないかは問題ではなく、患者の心が霊的方向に向くことが大切なのです。
インターネットや書籍などで、“スピリチュアル・ヒーリング”という言葉がたくさん使われています。しかし、霊的真理を知ったスピリチュアリストは、何が本物で何がニセモノかをしっかりと区別し、正しい知識を人々に伝えていかなければなりません。ヒーリングに携わっている、いないにかかわらず、「本当のスピリット・ヒーリング」を伝えていくことがすべてのスピリチュアリストの使命なのです。
参加者の感想
ヒーリングについて知ることができたと同時に、スピリチュアリストとしての道具意識、謙虚さの必要性を学ぶことができました。自分の考えを持ち込むと“○○流スピリチュアリズム”という、本当のスピリチュアリズムとは違うものになってしまいます。
そうならないために、少しでも成長できるよう、努力していきたいと思いました。
“互助の精神”ということが一番心に残りました。霊界では常識となっているのですが、地上人にとっては、頭ではわかっていても実行できないことです。地上の貧困国の人々は生きることに必死で互助の精神ということまでは、とても考えらない状態にあります。自分たちは恵まれているにもかかわらず、その精神ができていません。
互助の精神は、霊性向上のためには欠かせないものであることを、つくづく感じました。
この本の5章から読書会に参加して、いよいよこの本も終わることを思うと、感慨深いものがあります。参加当初からあまり成長していませんが、何かあったときには摂理に照らして考えるようになりました。
今日の学習では、P248で「永遠の宝である霊的なものをおろそかにして…」とありました。どんなに有名人でもお金持ちでも、死んでから問われるのは、どれだけ地上人に貢献してきたかとか周りの人のために働いてきたか、ということだと納得しました。
ヒーリングについては、家族が障害を持っているので、治してあげたいけれどどうしようもない、という部分がよくわかります。書店で乙武さんの本を見たとき、「この人はこのからだで、どうしてこの笑顔が出せるのだろう」と思ったことがありました。そのとき、自分にはスピリチュアリズムがあるから、どんなことがあっても笑顔を持ってやっていける、という気持ちを持とうと思いました。
P247の「生きるということは、お互いがお互いのために役立つことです。地上人類が救われる道は、互助の精神を実践すること、それ一つにかかっており、それ以外にはないのです」というところが心に残りました。自分がだれかに助けてもらう前に、誰かを助けることができるように努力していきたいと思いました。まず自分から実践していきたいと思いました。
ヒーラーは謙虚でなくてはいけない、とありましたが、ヒーラーだけでなく、いろいろなことに当てはまることですので、自分の課題として考えていきたと思いました。またそうなれるように努力していきたいです。
ヒーラーに求められる資質がとても厳しいものであって、ヒーラーとして活動されている方々がすごい努力をされていることがわかりました。自分はまだまだだと反省しました。NL7号にある道具意識と謙虚さは、スピリット・ヒーリングにかかわる人だけでなくて、スピリチュアリズムを学ぶ人が目指さなければいけないことだと感じました。
地上の富という物的価値よりも大切なものがあると書いてあります。シルバーバーチは「サービスは霊のコイン」とよく言っていますが、みんなに霊的コインが一番大切なものであることがわかってほしいです。
NL7号で「主役は霊界で自分はその手足にすぎないのだ」とあり、これが心に残りました。若いときに度を越えた努力と根性主義をたたき込まれてしまったので、なかなかその感覚が抜けないのですが、なんとか変わっていきたいと思いました。
イエスをはじめとする高級霊の方々が地上人を救うために働いていることを学び、霊的レベルの高いものほど自分を犠牲にして人類救済のために働いていることを感じました。
また互助の大切さを学びましたが、地上人は高級霊から一方的に与えられているだけです。今、自分が受けている恩恵に感謝して、一人でも多くの人が霊的真理を手にできるよう霊界の道具として働いていきたと思います。
スピリチュアリズムのヒーラーは歴史的に大きな使命を背負っていることを確認し、その重大な責務に身震いする思いがしました。その重責に逃げ出したい心境に駆られることもありますが、そうした思いは、自分の力で何とかしようとしていることの現れであり、霊界の道具となっていないことを意味しています。ヒーリングだけでなく、真理普及にしても、人間の力、自分ひとりの力で何とかしようと思ってもできるものではありません。よきスピリチュアリスト、よきヒーラーになるには、霊界から信頼され、使っていただくしかありません。謙虚さ、道具意識を持っているかどうかを常に確認しながら歩んでいきたいと思います。