2011年9月18日学習内容

スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

第10章創造は無窮です(P220~P225)

スピリチュアリズム普及会のHP「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より

超宗教としてのスピリチュアリズムの概要(1)(2)

学習のポイント

スピリチュアリズムがこれまでの宗教と大きく違う点は「理性による判断」を第一にしていることです。これまでの宗教は、理性を用いて判断するのではなく、無条件に教義を受け入れて信仰することが正しいこと、としてきました。教義に疑問を持つことは不信仰と見なされ、信者として失格となります。各自の理性ではなく、ひたすら教祖と教義に忠実に従い、わき目もふらずに信仰することがよき信者であり、それであってこそ救いに預かることができると言うのです。

シルバーバーチは「理性が反発するものは決して行ってはなりません。理性を第一の指針とすることです」(P220)と言っています。「理性」とは別の言葉で言えば「分別心」です。“何が正しく何が間違っているか”“何が善で何が悪か”を判断する力が理性と言えます。「理性」は、神が人間に与えた“真偽を確認するための能力”の一つです。これまでの宗教は、何が正しいのかという疑問をはさむ余地はなく、教義は必ず正しい、という一つの見解しかありません。それに対してスピリチュアリズムは「高級霊の説く霊的真理」を理性によって自ら判断し、納得がいったら実践してください、疑問があるなら得心がいくまで探求してください、と言うのです。

つまり一人一人が自分の責任において霊的真理を吟味し、受け入れるかどうかの判断をしていかなければならない、ということです。高級霊が「スピリチュアリズムが絶対に正しいから、信じなさい」と言って押しつけることは、一切ありません。シルバーバーチは「万が一、私の申し上げたことが皆さんの納得を得られないときは、それはそれで結構です」(P225)とまで言っています。

スピリチュアリズムは、押しつけや強要、強制がありませんから、その点から見ると他の宗教と比べてとても寛大で、気楽なように思えます。しかし現実には、スピリチュアリズムはどの宗教よりも厳しいと言えます。人間は、誰かから一定の方向を示してもらい、ある程度の強制をされたほうがラクなことがあります。自分で考えたり判断しないで、いつも誰かにすがって、指示通り動けば幸せになれるなら、そのほうがラクです。しかしスピリチュアリズムではいつも、何をすべきか、どうすべきかを自分で決定しなければなりません。

真理を吟味し、それが正しいと思ったら、自ら真理にそわせる努力をする、それがスピリチュアリズムの実践です。誰からも強制されませんから、自分で自分を律していくしかありません。苦しくても正しい道を選択し、自らを鼓舞して、歩み通していくのが霊的人生なのです。

苦しみや困難に直面したとき、「避けて通りたい」「なるべくラクな道を選びたい」という思いは誰でもが抱きます。しかしその感情に流されることなく、「理性」が正しいと判断する道を選んで、勇気を持って歩んでいくことで、少しずつ魂が成長していきます。一人一人が克服しなければならない課題を抱えて、この地上に生まれてきました。その課題としっかりと向き合い、苦しくても後で後悔しない歩みをしていきましょう。正しい道を選択したなら、必ず霊界からの応援があることを信じて、頑張り通していきましょう。

参加者の感想

今まで霊訓の中で「理性で判断しなさい」と書いてありましたが、なんとなく読みすごしていました。理性の根本には霊性があることと、善悪の判断基準になっていることを学びました。「理性は神様からいただいたものだから、それを大切にして判断の基準にする」ということが理解できました。
また、「自分の体験が霊的成長に結びつくかどうかが重要」とありましたが、昨年からずっと体調のことで悩まされています。この体験から何を学べばいいのか、なかなかまだつかめません。苦しみの最中にいるときはわからないのだと思います。それを乗り越えれば、得られるものがあるのだと思います。

「理性が反発するものは決して行ってはいけない」とシルバーバーチが言っていますので、自分でもこれまで、理性で確認しながら行動してきたつもりですが、なかなかできないこともありました。
これまでは「死後の世界があるからよかった」で終わっていることがありました。自分としてはそれがとても楽で、安心してしまっていました。そこで止まってしまって、全然成長していなかったことに最近、気がつきました。霊的に成長するためには、困難や苦しみを全部受け止めて、それを成長の方向に持っていなかければならないのだと思いました。

「自分に都合の悪い真理も受け入れなければならない」という言葉が心に残りました。摂理にそいたいと思っても、いやだなと思ったり、避けて通りたい、と思うことがあります。逃げ出したくなったときには、スピリチュアリズムの基本を思い出して、この地上人生で少しでも成長していきたいと思います。

この1か月は「続SP入門」をひたすら読み続けてきました。困難への対処、日常の仕事に対する考え方など、私に必要な内容ばかりで、一つ一つかみしめながら読んでいきました。心に深く響くものがあり、人に対して純粋に誠意を持って接していこうと思いました。これからもっと苦しいこともあると思いますが、私の成長になくてはならないものだと思いますので、頑張っていこうと思います。
今日学んだ中では「自分の自由意志を行使して、自分の理性に磨きをかけなさい」ということが印象に残りました。また霊的に目覚めてから学んだことは、霊界にいっても忘れないということを聞いて、とてもうれしかったです。

NHKで「死」をテーマにした番組を見ました。「死」の次の世界のことは前提としていなくて、「死」だけを扱ったものでした。死ぬ準備をすることを「終活」というらしいです。死ぬまでに遺影を撮ったり、死んだときの洋服を決めたりしていました。しかし、実際に「終活」をしている人は、死を目前としていないから余裕を持ってそうしたことをやっているので、病気などで余命幾ばくとなったら、不安でいっぱいになると思います。
私は、死後の世界を知っているので、とても幸運だと思いました。他の人たちも「死」だけの「終活」ではなくて、死後の世界についての「終活」ができればいいと思いました。

今日は、14年間ほど疑問に思っていたことの答えを得ることができました。14年前、ある宗教の信者さんと縁があって、聖書を読んだことがあります。「何を聞いてもいいですよ」というので、いろいろ質問したのですが、その答えはいつも一つで「そう信じるんです」というものでした。それが今日、学んで、キリスト教という宗教の中での理性だったことがわかって、とても納得しました。シルバーバーチは、キリスト教の人たちを相手に、すごいことを言っているな、ということもよくわかりました。

「機械仕掛けのように行うロボットであっては欲しくないのです」という言葉の中に深い愛を感じました。「各自の責任感を増幅し、内部の神性を刺激して、理性的判断を行使するように指導している」という霊界の導きに胸がいっぱいになりました。
高いレベルで理性を発揮できるように、自分を厳しく律していく努力をしていきたいです。

さまざまな宗教や宗派があって、自分たちこそ本物だと言って争ったり、ときには戦争にまでなっているのですが、本当のことは一つなので、早くそれに気づく人が増えてほしいです。多くの日本人は先祖供養や法事なども、なんとなくやっているだけなので、霊感商法にひっかかってしまいます。
今、震災の影響もあって、自分の周りでもスピリチュアリズムに関心がある人が増えているように感じます。横道にそれないで、本当の真理にたどり着いてもらいたいと思います。

地上人生の目的は霊的成長ということを、私自身は理解していますが、これを他の人に伝えたり得心させるのは、非常に困難なことだとつくづく思っていました。今日、あらためて感じたのは、理性を働かせつつ、「正真」の折り紙付の知的存在とともに、活動することが一番いい、ということです。ホッとするとともに、ともに働かせていただける、というところで自分の道を歩んでいきたいと思いました。


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