2011年4月7日学習内容
スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ
第8章絶望してはなりません(P174~P182)→
超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より
スピリチュアリズム的生き方の特徴(2)(3)→
学習のポイント
霊的真理に出会ったことで私たちは、地上人生を大きく変えることができました。真理を知る以前は、ただひたすら“怖い”と思っていた「死」や「死後の世界」についても、今では楽しみなものになっています。何をすればいいのかと迷っていた人生も、霊的成長こそ人生の目的であることを知り、最高の指針を得ることができました。学べば学ぶほど、心に深く染みこんでくる霊的真理に出会えたことを心から感謝しています。
しかしそれと同時に、真理にそえない自分の未熟さに直面し、シルバーバーチの言葉が心に突き刺さることもしばしばです。シルバーバーチは「純粋無垢の真理はときとしてにがく、また心を傷つけることがあります。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれはよい結果を生みます」(P177)と語っています。
霊性の低い地上人に霊界の常識である真理をそのまま伝えることは、ときには酷(こく)なことであるとシルバーバーチは知っているのです。しかし、地上人にとって受け入れ難いことでも、事実を事実として伝えることは、必ず霊的向上という最高の結果を生む、というのです。
例えばスピリチュアリズムでは「肉食は摂理にそった食ではない」と言っています。神様は、大地の恵みだけですべての地上人が十分な食を得られるように造られたのですから、それを知った私たちはいち早く菜食に切り替えるべきです。しかし、なかなかこれまでの食生活から抜け出すことができないスピリチュアリストは、この真理を目にするたびに、後ろめたさを感じているはずです。さらに肉食を否定することは、世界中の畜産業に携わっている人たちを傷つけ、否定することになります。どんなに善人であっても畜産業を営んでいる以上、真理から外れた行為をしていることになるのです。
もし私たちが「肉食は真理から外れているけれど、家族や周りに合わせたいし自分の好みがあるから、少しくらいの肉食は許されるのではないか、畜産業で生計を立てている人は経済的な理由があるからしかたない」というふうに、地上的な理由付けをして適当に妥協してしまったなら、それは真理を歪曲したことになります。純粋で無垢な真理を地上人の身勝手な事情で捻じ曲げたことになってしまいます。
霊界人が多くの苦労と犠牲をはらって、やっと地上に伝えてくれた大切な霊的真理は、たとえ地上人にとってにがくて、心傷つける内容であっても、決して妥協したり捻じ曲げてはならないのです。私たちは、シルバーバーチが伝えてくれた真理を、自分が実践できるできないにかかわらず、純粋なまま受け取らなければなりません。そして、地上的な色づけをしないで無垢なまま、次の人たちに渡していくことが役目なのです。
自分がどこまで真理通りに実践できるかは、あくまでも個人の問題です。自分にはなかなか実践できないことも、他の人は実践できることもあります。逆に、自分には実践できることも、他の人には難しいこともあります。真理の実践の度合いは、一人一人違うのですから、自分勝手に真理を解釈してはいけません。
現時点の地上人にとって完璧に霊的真理にそって生きることは不可能です。不可能だから、レベルを下げるのではなく、不可能をできるだけ可能にするために、この地上人生で最善を尽くしていくのです。一人一人が真理を前にしてもがき苦しみ努力した分だけ、必ず魂の成長という“よい結果”がついてくるのです。
参加者の感想
霊訓を読んだり読書会に参加するだけで“わかった気分”になっていてはいけないことを痛感しました。真理を知ったことである意味で、人の心の痛みや苦しみに鈍感になってしまったことを反省しています。今、アラン・カルデックの本を読んでいますが、イエスやシルバーバーチを目標に、もっと実際に人の役に立てるように努力していきたいと思います。
“内省的になる”ということで、最近、自分の思念が気になっています。いつも考えていることが、どうでもいいことばかりだったり人を批判するようなことだったり、霊的成長にならないことを考えていることが多い、と反省しています。シルバーバーチの言葉に「思っていることもあなたの一部です」とありましたが、いつも霊界に意識を向けていくことができるようになりたいです。
昨日、ハーバード大学のサンデル教授の番組を見ました。今回の地震で日本人が冷静に対応し、助け合いながら災害を乗り越えようとしているのを、中国やアメリカの人たちが驚きをもって見たということです。今日学んだ中にも「互助の精神」の大切さが出てきましたが、日本人が持っているその精神が表に出てきたのかもしれないと思います。もし地震が日本以外の国で起きていたなら、こうした報道がされることもなかったと思います。
被災された方は大変だったのですが、その人たちが犠牲になることで、今日学んだ「無駄な犠牲」にならないよう、自分たちがこれから頑張らなくてはいけないと思いました。
先月の地震は、私にとっても大きなことでした。真理を勉強していたおかげでいい導きをいただきました。しかし、自分が真理に基づいて、よかれと思ってやったことで、周りの反発を招いてしまいました。自分自身をひどく否定されたことで、体調を崩してしまいました。今日シルバーバーチの「はてしない旅となることを覚悟しなければなりません」という言葉が身にしみました。決意をあらたに頑張っていこうと思いました。
今日は霊訓の中でも核心的な内容を学ぶことができました。これまで「霊的成長」に関して、自分なりの理解でいいのだろうかという疑問があったのですが、今日の読書会を通して確認することができました。
スピリチュアリズムは内容的にはとても厳しいものですが、その背後に神様の深い愛の世界があり、シルバーバーチが地上人に対して真剣に真理を伝えてくれていることを実感しました。自分もその思いを受け止め、真剣な気持ちで歩んでいきたいと思いました。
この1か月、被災した方々のために支援したかったのですが、経済的な理由で物的支援ができないので、魂の援助に努めてきました。亡くなった人や家を失った人のためにひたすら祈りました。祈る中で私の心が癒されていくのを感じました。
今日学んだところで「心を傷つけることでも、事実を事実として伝える」「自分や相手の事情でレベルを下げたり地上人に都合がいい内容に変えたりしない」ということが心に残りました。真理は耳の痛いことが多いのですが、これが本当の愛であり、時間がかかっても真理を求めていかなければならないと思いました。
神の目、霊界の目を意識して、正直に歩んでいきたいと思いました。
毎朝祈りと同時に、今日こそは自分は正しく生きるぞ、と思うのですが、外に出るとすぐに心が落ちて、普段の生活に戻ってしまいます。そうした毎日を繰り返してしまう自分に、嫌気がさしています。
今日学んだ中で、自分の弱さと戦うということが、今の自分に必要なことだと知りました。
1か月に一度、こうした時間を持つことで、いろいろなことに気付かされます。
今日は霊的視野から日々の生活を大きく広く深く見る必要がある、と感じました。仕事でも家庭でも忙しいと、霊訓を知りつつも忘れていることがたくさんあります。霊的視野を持って日々の生活を送りたい、とつくづく思いました。
真理に出会うことで、自分の物差しが大きく変わりました。少しずつ正しい目線で考えられるようになっていると感じています。会社の同僚と食事をしていたときに「ストレスないの?」と聞かれました。そのとき自分はストレスがないと思いました。生活で起こってくることをすべて「ありがたい」「毎日が自分の学びだ」と思えるようになったからです。
真理を知らないときは、自分はこんなに一生懸命やっているのに、どうして他の人はやってくれないのだろうと考えていました。今は、自分の至らないところを見つめることで、人を許す幅ができてきたように思います。心が広がったように感じています。
「私利私欲に走ることは決して得をするあり方ではなく、たいへんなマイナスの結果をもたらすことになる」という言葉が心に残りました。私利私欲に走るとかならず苦しみや痛みという結果になります。正直に生きたときには、かならず温かく喜ばしい結果をいただけます。摂理は神様からの頂き物で、まっすぐな答えしかないので、それに少しでもそえるように歩んでいきたいと思っています。
シルバーバーチが伝えてくれたことは、どれも驚くべき知識ばかりです。
今日学んだ中で、「自己責任主義」ということを読んで、とても厳しいと感じました。
人のためになることをやりたいと思っているのですが、自分がやってあげられることもあれば、本人に任せて、あとは祈ってあげることしかできないこともあることを感じました。
守護霊や背後の霊たちでも干渉できないことがある、自分でやらなければならないこともあるという厳しさをあらためて感じました。
読書会に参加して一番いいと思うことは、祈りによって霊的エネルギーが吸収できることです。
今日の内容は、心にすっと入ってくる内容でした。正直に生きればいいということは、物事に一喜一憂しないということで、安心して生きられます。自分は今回の震災も霊的視野で見ることができますが、被災者も霊的視野で見ることができれば、余計な悲しみや苦しみをしないですむと思いました。
霊的真理は、“実践した気分だけ”ですませたり片手間ではできないことです。どれだけ真剣に取り組んでいるのかは、自らの行為に現れます。私たちの行為は、霊的真理にそった目的と動機が大切ですから、正しい行為(実践)をするためには、真理の正しい理解が求められます。読書会はそのための大切な機会となっています。
今日は、真理への確信を深め、実践していくことが魂を救う道になることを学びました。そして、この道は自己責任と自力救済の道です。自らの行為を真理にそわせ、人々への奉仕へとつながるように努力したいと思います。
「魂は常に自由でなければいけない」ということはとても大切なことだと思います。「心の中で間違いだと気付いたもの、理性が拒否するもの…は潔く捨てることができれば、それだけ多くの自由を獲得したことになります」まったくその通りだと思っています。自分が、あることに対してこだわっているとき、そのこだわりを一つ一つはがしていくことによって自由になっていくのかなと思います。
先週の金曜日に宮城県に行ってきました。もとは田んぼだったところに何台も車が転がっていて、その上に船が乗っていたり、海のブイがはるか内陸にあったりしました。家も完全にひっくり返っていて、道路は車がやっと通れるほどでした。夢を見ているような感じでした。
地震直後からずっと思っていたことは、これで日本人は、あるいは地上人は、霊性がひとつ上がるのではないかと思いました。震災直後からみんな助け合って頑張っています。今は、少しずつ我が出てきて見苦しい部分もありますが、それでもみんなで協力する姿勢は変わっていませんから、とてもいい方向で動いていくのではないかと思います。
越えられない試練は与えられないので、被災した人たちも乗り越えて行くことができると思います。
私たちは、自分に与えられた仕事や使命を果たしていかなければいけないと、現地を見てあらためて思いました。
今回の震災の様子は、瞬く間に世界中に伝わりました。アフリカのケニアの小さな村は貧しくてテレビがありません。ラジオを通して日本の災害を知った住人たちは、心を痛め自分たちにできることはないかを話し合い、豆を贈ることを決め、支援を申し出ました。実はその村は、数年来の干ばつで、深刻な食糧不足が続き、栄養失調の子も多いという状況にあったのです。
私はこの記事を読んで、貧しくても霊性豊かな人が世の中にいることに、心から感動しました。貧困の中にあってもこれだけのことができるのです。私たちはスピリチュアリストとして、彼ら以上のことをなさなければ!と強く思いました。私たちにできる支援はやはり、霊的真理普及以外にはないと思います。今日は、霊的真理が広がることで希望が強まるという内容のことを学びました。霊界に使っていただけるよう努力しながら、日々歩んでいきたいと思います。