2011年8月21日学習内容

霊性進化の道しるべ

第10章創造は無窮ですP214~P219)

超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より

スピリチュアリズムと他の宗教との根本的違い(1)(2)

学習のポイント

シルバーバーチは「自分でまいたタネは自分で刈り取るのです」(P219)という言葉を、何度も口にしています。これはスピリチュアリズムが明らかにした摂理(法則)で、「因果(カルマ)の法則」と「自己責任の法則」です。神が創られた霊界、宇宙のすべてが原因と結果の機械的な連鎖関係の中に存在しています。そして、摂理にそった善い行いをすればそれに見合った結果がもたらされ、摂理に反したことをすればカルマとして本人の責任で清算の道を歩んでいくというものです。

従来の宗教では長い間ずっと、この法則から外れた身勝手な信仰を熱心に続けてきました。また私たちスピリチュアリストもこの法則を知りながら、ときに間違った願いや思いを持つことがあります。

例えば、多くの日本人は、熱心に先祖供養をすれば災難を逃れられると思っています。また世界の宗教の中には、1日に何回も祈りさえすれば天国にいくことができる、神の救いが必ずもたらされると信じている人たちがいます。私たちスピリチュアリストも「苦しみから逃れられるように、何とかしてください」と祈ってしまうことがあるかもしれません。しかしこれらは、いくら熱心に祈っても“叶えられない願い”であり、世の中にはむしろ“叶わぬ願い”が圧倒的に多いと言えます。

「賞と罰は各自の行為によってきちんと決められており、変えることはできないのです。えこひいきもありませんし、裏をかくこともありません」(P218)というシルバーバーチの言葉こそ霊的事実であり、地上人の間違った信仰を大きく転換させるものです。先ほどの先祖供養についても、先祖の悪い行いはその先祖本人が償うことであり、子孫には関係ありません。子孫の災いは、子孫本人がつくったカルマ(過去の摂理違反)を清算するために用意されたものなのです。また「自分や家族に幸せをもたらしてほしい」と熱心に祈ったとしても、摂理にそった行為をしていなければ、願いは叶いません。すべては“摂理通りであるかどうか”だけであり、神は一切“えこひいき”をなさらないのです。

これらの法則を知ってみると、私たちはこれまであまりにも的外れな信仰や世の中の常識にとらわれていたことがわかります。スピリチュアリストは、霊的事実を知った以上、この世の常識にとらわれない生き方、常に摂理にそう努力をしていかなければなりません。「大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない」(P218)とシルバーバーチは断言しています。「スピリチュアリズムを知ったから救われる」「守護霊に祈れば、何とかなる」といった安易な気持ちは通用しません。「スピリチュアリストであろうとなかろうと、例外は一切ない」ということを肝に銘じ、霊界に行ってから後悔しないよう、精一杯の努力をしていきましょう。

参加者の感想

真理を知っていながら、一生懸命に真理の実践に励んでいないことも摂理違反になることをあらためて感じました。「カルマをつくる」というと、大きな間違いを犯すことばかり思っていましたが、自分の努力不足でもカルマをつくってしまうことがあることを思うと、スピリチュアリズムの厳しさを感じました。
一人一人の霊的成長が大切なことはわかっていましたが、最近は、道具として何ができるのかというところにばかり意識がいっていました。一番大切なことは、真理にそって努力し成長することだということを確認しました。

「受けるべき罰は堂々と受けて耐え忍び、自ら生み出した責務は自らの肩に背負うべきです」という言葉が心に残りました。過去にいろいろな失敗があったので、それに対してはこの言葉のように対処していきたいと思います。
また「自分から変わっていかなければならない」という思いを強くしました。まだ時間がかかりますが、焦らず頑張っていきたいと思っています。

自分にとってスピリチュアリズムとは何かと考えたとき、生きていく指針だと思っています。今日はスピリチュアリズムが超宗教だということを学びました。私は「宗教」という言葉が嫌いですが、霊界を信じるという意味では、スピリチュアリズムは宗教だと言えると思いました。もっと霊の存在を確信できるようになりたいと思います。

シルバーバーチを読んだとき、読んだだけで十分だと思っていました。しかし、友人のお子さんが亡くなって悲しみのどん底にいるのを見て、シルバーバーチを教えてあげたいと思いましたが、それができなくて、自分の無力を感じ焦るような気持ちになりました。読書会に参加するようになって、霊界が主導であることを知って肩の力が抜けたような気がしました。これからも霊界の導きを信じて、内面を整えていきたいと思います。

今のこの地上生活でつくり上げたものが、そのまま魂に刻まれていくことを実感しました。人に真理を伝えたいと思っていますが、時期がこなければ伝わらないことをいつも感じています。自分が成長すれば、時期がきた人と何かしらの形で接点が持てると思います。焦ることなく、正しい知識を学んでいって、できるだけ人のために役立ちたいという思いを持って生活していきたいと思います。

今日学んだ中で「霊界の人々によって導かれてきた相手に対して、誠意を持って真理を伝えるだけでいいのです」という言葉が心に残りました。人に伝えるには、しっかりした準備が必要だし、その準備ができていなければ、安心して霊界は任せられないということを学びました。日々の学びと実践をしっかりやっていかなければならないと思いました。

たった数ページですが、たいへん深い内容であることを感じました。こうした体験は今までなかったので、深く真理を知るために読書会に導かれてきたのだと思いました。3月から参加して、ようやく半年になります。生活の環境は変わっていないのですが、感じ方や考え方が変わってきました。真理にそうように努力しようとすると、自己チェックがなかなか厳しくなります。行動も言動も考えなければいけないと思っています。これまで楽しいと思っていたことが楽しくなくなって、少し寂しさがあり、今、寂しさと厳しさを感じています。頑張らなければと思っています。

昔も今も、どんな時代でもそれなりの苦労があり、やるべきことをやらなければいけないのだと思いました。
8月になって職場で異動があり、新しい環境で仕事をしなければならず、覚える事も多いです。しかし、自分がこれからどうしていこうかと考えたとき、スピリチュアリズムの原点に立って考えることが大切だと思いました。「自分を欺いてはいけません」という言葉がありましたが、自分の良心に正直になって行動していきたいと思いました。

「大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない」という言葉が心に残りました。真理に出会うまでは、神様や霊界について考えたこともなかったです。こんな私が真理に出会うことができました。シルバーバーチを読んで、これまでの体験をすべてありがたいものとして受け止めることができました。
摂理を学ぶことで、人への愛が少しずつ深くなったように感じています。しかし、道具となっているだろうかと考えたとき、まだまだですので、ゆっくり焦らず歩んでいきたいと思います。

私がスピリチュアリズムと他の宗教や思想と違うと思っていることは(たくさんありますが)一つは「とことん疑ってください」というところ、もう一つは「組織がないのに拡大していく」ということです。
今日学んだことで心に残っていることは、仕事や生活の中で必ず光と影があり、「困難を克服せんとする努力の中でこそ霊は真の自我を見出す」という言葉はその通りだと思いました。

「過去の人に比べれば、今の時代に生まれた人は恵まれている」という話がありました。たしかに、こうして霊的真理を学べることは恵まれています。この時代に生まれてきたことに意味があり、また責任もあると思います。自分で選んでこの時代に生まれてきたのですから、スピリチュアリズム普及のために働いていきたいと思います。
後半で「スピリチュアリズムは、霊界で常識となっている信仰意識と信仰生活を地上へもたらそうとするものである」と学びました。地上人よりもはるかに高いレベルの高級霊が確信しているものを私たちは学んでいます。これ以上のものはありません。スピリチュアリズムに出会えたこと、学べることに感謝しています。

「大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない――受けるべきものを髪の毛の一本ほども変えることはできない、各自が受けるべきものは、かっきり受けるに足るものだけ」という言葉が印象に残りました。自分が今、何回目の再生人生を歩んでいるかはわかりませんが、こうしてスピリチュアリズムに出会えたということは、過去においてそれに見合った何らかの歩みをしてきたということを意味しています。そう思うと、過去の自分に「よく頑張ってくれた」という思いが湧いてきます。
しかし、スピリチュアリズムに出会えた今こそが、本当の人生のスタートラインです。真理を手にすることで“魂の成長と人のために役に立つ”という地上人生の明確な目標が持てたこと、またそのためにエネルギーを傾けられることは、本当に幸せだと感じています。この喜びを一人でも多くの人と共有できるよう頑張りたいと思います。


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