2010年10月17日学習内容
スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ
第6章摂理は完全であり、自動的に作用します(P141~P149)→
「スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]
2章(7)神の摂理と人間の自由意志→
学習のポイント
シルバーバーチは、間違った教義が魂の足かせとなっている、魂を縛り、自由な発想を妨げるものはすべて一掃しなければならない、と繰り返し訴えています。これまでの宗教の教義は、霊的事実に照らしたときことごとく間違っていて、一刻も早くなくさなければならないものなのです。そしてこれまでの「信仰」のあり方についても、その間違いを指摘しています。
これまでの地上の宗教は、真理とはかけ離れた内容を教義とし、信者は、それを信じるように教え込まれます。もし、少しでも教義に疑問を抱けば、「信仰が足りない」と言われ、ただひたすら信じる人が信仰心の篤い人として、評価されます。
しかし148ページに「ただそう信じるというだけの信仰では、厳しい体験の嵐が吹き荒れるとあっさりと崩されてしまいます」とあります。
一生懸命信仰してきた人が思わぬ困難に出会ったとき、「これほど信仰していたのにどうしてこんなことが起こったのだろう」と不信感を募らせたり、他の信者から「まだ信仰が足りないから、そうした不幸や困難が起こってくる」と言われたりします。また、神や仏に熱心に祈っていた人が、家族や自分が不治の病にかかったりして“死”に直面すると、これまでの信仰が何だったのかと思うくらい取り乱すこともあります。
シルバーバーチは「霊的事実を土台として生まれた信仰はいかなる嵐が吹いてもビクともしません」(P149)と言っています。霊的事実を土台とした信仰というのは、もちろんスピリチュアリズムの信仰をさしています。スピリチュアリズムは、“地上生活と死”を経験している霊界の住人から今生きている地上人に向けての貴重な情報です。“死後の世界の現地報告”と“高級霊たちが知っている人間の生き方”を、霊的事実として語っているのです。
私たちが「スピリチュアリズムに共感できた」ということは「高級霊が教えてくれる霊的真理が真実である」と直感したということです。さらに私たちはスピリチュアリズムこそが人生の指針である、スピリチュアリズム以外に信じるべきものはない、という確信を持ったとき、「スピリチュアリズムへの確かな信仰」を確立したことになります。
「ただ信じるだけの信仰」では、人生の大きな困難を乗り越えるだけの力を得ることはできません。最初はしがみついていても、困難の嵐が吹きすさぶ中で、根がない信仰では吹き飛ばされてしまいます。最後まで信仰を貫くためには、心の底から納得するだけの「確信」が必要なのです。どんな嵐が吹いてもビクともしない信仰を持てるスピリチュアリストこそ、人生を最後まで堂々と歩んでいくことができるのです。
参加者の感想
ハンセン病患者の施設を見舞う牧師の話で「魂がそうしてあげたいと望むから行くのです。」とありました。私もボランティア活動をしていますが、私は「魂がそうしたい」と思ってやっているのではなくて、真理を知ったがゆえに「そうしなければいけない」と思ってやっています。最近、それが苦しくなってきて「自分が無理をしている」と思えてきました。しかしそれを持続していくことで、いつかは自然にできるようになっていきたいと思っています。
自由意志については、活字では読んでいたのですが、皆さんのお話を聞いて“なるほど”と心にしみてきました。日頃の生活を振り返って、霊性が低くて困ったな、と思うことがありますが、読書会に参加できることが幸せなことだと思っています。霊的エネルギーを充電して、明日からまた頑張りたいと思います。頑張るエネルギーをいただけてよかったです。
今日勉強したことは「霊的事実を土台とした信仰」ということです。思い当たるのが、以前私が信じていた江原さんのことです。彼のやってきたことは地上の視点でしか見ていません。本を読んでも最終的に死ぬのが怖かったです。スピリチュアリズムを勉強していくと、霊的視点で見ようと努力します。困難にぶつかっても乗り越えることができます。「霊的事実を土台とした信仰」という言葉は身にしみてわかりました。
引越しなどがあってバタバタしていました。そんな状態で「自分は得た知識を活用して、人のために何かできるのだろうか」と思っても何をやっていいのかわかりませんでした。あるとき「得た知識を実践することが自分ができる最高のことだ」ということがわかりました。それに気がついたときに心のモヤモヤが消えました。「自分にできる小さなこと」を毎日やっていくことの大切さがわかりました。
自分で試練を乗り越えていかないといけない、それが成長へとつながっていきます。いつも同じような反省をするのではなく、新たなレベルでの反省ができるようになりたいと思いました。
自由意志で、今日も参加しました。3000年前の霊であるシルバーバーチが、自分の知っていること、得た知識を、自己犠牲の上で、地上人に教えてくれました。ですから私はシルバーバーチの真理を絶対的なものとして信じています。真理を知った以上は、神と摂理への絶対信仰というところまでいかなければいけないし、シルバーバーチがいつも言っている自己犠牲がどこまでできるかだと思います。やれるところまでやっていきたいと思っています。
今日は宗教と信仰の話でした。自分も悩みがあったとき、宗教書を読んだことがありました。しかしこれまでの宗教は、とにかく信じなさい、そうすれば救われる…というものだったので、自分は納得がいきませんでした。シルバーバーチに出会って、最初は霊界についても「本当だろうか?」と思っていました。しかし学んでいくうちに、だんだん「そうだろうな」という確信に近くなっていきました。死に対する恐れもなくなってきました。先月、兄が亡くなったのですが「よかった」と思うことができました。自分も少しは進歩したように思えました。
本文の「霊的事実を土台として生まれた信仰は、いかなる嵐が吹いてもビクともしません」という言葉が一番心に残りました。土台がまだしっかりしていないので、“いかなる嵐”というわけにはいきませんが、読書会に参加したり、シルバーバーチを繰り返し読んだり、体験を通じて、その土台が徐々にしっかりしつつあることを感じています。
職場で今、さまざまな問題を抱えています。しかしそうした中でも、絶対にあきらめないでやれる、という確信、最後はなんとかなるという思いが持てるのは、シルバーバーチに出会えたからだと思っています。おとといと昨日は徹夜でしたが、そのときもふとしたひらめきを与えてもらって、八方ふさがりに光が見えたような感じでした。
そうした体験から、やはりしがみつくべきものはシルバーバーチの霊訓だと思いました。そうしたしがみつくような思いの中で日々過ごしていくことが実践なんだと思いました。
真理を知った私たちは、物事を正しく判断するための基準を手にしたことになります。日常生活でおきる問題に対して、真理にそった正しい選択をしたときは心に喜びが湧いてきますが、真理からずれた選択をしてしまったときは、心に痛みを感じます。導きによってやっと手にした真理ですから、正しい選択をして魂を成長させていきたいと思います。
読書会などで霊的真理を深く学べることは、魂の成長にとって必要なことだと実感しています。霊的真理を学ぶほど、スピリチュアリズム普及のために役立ちたいとの思いが強くなっていきます。是が非でもスピリチュアリズムのために働けるように、日々の生活の中で霊優位と利他愛の実践に努力していきたいと思います。
神が人間に自由意志を与えた理由のひとつとして、「神が人間と愛によって結ばれることを求めたから。つまり親と子供という愛の関係をつくり出すために、自由意志を与えた」ということを学びました。しかし現状は愛の関係どころか、神が親であることさえ知らない人間のほうが圧倒的です。本当に悲惨な状況ですが、神が愛の関係を望んで自由意志を与えたのですから、私たち人間が自由意志を正しく活用し続けさえすれば、長い時間がかかるとしても、必ず神と人間が愛の関係で結ばれる日が来ることを信じています。その時が一日も早く訪れることを願い、今は少しでも霊界のお役に立てるよう、よき道具を目指してがんばって行きたいと思います。