2014年7月20日学習内容

スピリチュアリズム普及会

スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]霊的人生

はじめに

スピリチュアリズムにおける「霊的真理」と「実践」と「信仰

〔3〕正しい霊的人生を送るための実践項目〈2〉

(7)日常生活における利他愛の具体的な実践内容

学習のポイント―――霊的人生を歩むための3つの要素「霊的真理」と「実践」と「信仰心」

今年は2月からずっと、スピリチュアリズムの霊的真理を体系的に学習してきました。今回は、上半期の締めくくりとして霊的人生を歩むに際しての基本的要素を学びました。

読書会は“スピリチュアリスト”が集まって学び合う場です。では、その“スピリチュアリスト”とは、どのような人のことを言うのでしょうか? ここ数年の間に世間では、“スピリチュアリスト”を自称する人たちが増えています。しかし、『シルバーバーチの霊訓』を読んだ、霊訓に感動した、というだけでは“スピリチュアリスト”とは言えません。“スピリチュアリスト”とは、高級霊(シルバーバーチ)によって届けられた霊的真理・霊的知識と出会い、それを人生の指針として歩んでいこうとする人のことです。『シルバーバーチの霊訓』を本物だと確信し、霊的真理を支えとしてこれからの人生を歩んでいこうとしている人のことです。

では、霊的人生を歩む決意をしたスピリチュアリストは具体的にどのような歩みをしていけばいいのでしょうか? スピリチュアリストが最初になすべきことは、人生の指針となる霊的真理を「正しく理解する」ということです。せっかく手にした霊的真理を間違って理解してしまったなら、霊的宝をドブに捨てるようなことになってしまいます。真理の一部だけを取り出して自分に都合がいいように勝手に解釈することは、最高の真理を全く価値のないものにしてしまうことになります。スピリチュアリストは、何よりも「真理の正しい理解」に努めなければなりません。具体的には「霊的真理の全体像を正確に把握する」ということです。

霊的真理が正しく理解できるようになったら、次は「霊的真理の正しい実践」を心がけることです。多くのスピリチュアリストは、何を実践したらいいのかが分からず、的外れな実践をしています。スピリチュアリズムの全体像から導き出される具体的な実践とは「霊主肉従」「利他愛の実践」「苦しみの甘受」です。この3つを柱として、実際の霊的人生を歩んでいくことになります。

スピリチュアリストとしての歩みは「霊的真理の正しい理解」から始まり、「霊的真理の正しい実践」へとステップアップしていきますが、もう一つ、霊的人生を歩むうえで重要な要素となるのが「正しい信仰心」です。霊的人生とは、「正しい理解」と「正しい実践」という2つの要素の上に「正しい信仰心」を積み上げたものです。

「正しい信仰心」とは、神の摂理に忠実に従えば決して悪い結果は生じないと信じ抜く「摂理への絶対帰依」のことです。神は人間が幸せになるために摂理を造られました。そのため、神の摂理を絶対的に信頼し、何があってもこれに従って歩んでいこうという決意が「正しい信仰心」です。

宗教と言えば「神への信仰」を抜きにして語ることはできません。信仰は、神(仏)を信じる行為であり、人間の霊的本能から生じるものです。しかしこれまでの宗教は、間違った教義のもとで信仰を説いてきたために、狂信や盲信を生み出すことになりました。スピリチュアリズムは、高級霊界からもたらされた真実の霊的知識に基づくものであるため、これまでの宗教のような狂信や盲信とは無縁の信仰です。

スピリチュアリズムは、高級霊が伝えてくれた「霊的真理」を土台として、「神」と「神の摂理」を無条件に信じ、これを実践していく生き方です。スピリチュアリズムは単なる思想ではなく、地上人生の目的である「霊的成長」のための実践の手引きなのです。私たちは、霊的真理を学ぶだけでよしとしていてはなりません。学んだ霊的真理を日常生活で活かし、少しでも人々の幸せのために役に立つことができるよう、日々、努力していきましょう。

参加者の感想

利他愛の実践として、他人に手を差し伸べることを心がけてきました。しかしときどき、自分を非難してくる人がいたり、いわれのないことで攻撃されることもありました。今日の学習で、そうした状況のときすぐに腹を立てていた自分に気が付きました。これからは、霊的視野で相手の幸福のために祈っていきたいと思います。

霊的真理を体系的に学ぶだけでなく、実践するための方法を学ぶことができました。ボランティア活動をする中で経験を積み上げていくことが真の利他愛の実践に結びつくことも学びました。どんな相手に対しても同じ神の子供であるという視点を忘れず、地上人の幸せを願って、霊界の方々の愛に少しでも応えられるよう、努力していきたいと思います。

今日は私にとって耳の痛い学びでした。本当に純粋な気持ちで相手のためを思っているか? 人の選り好みをしていないか? など自問自答してみると、どれも自信を持って“YES”とは言えません。仕事柄、相手との相性がとても大切で、気に入ってもらえるように必要以上に手を差し伸べてしまうこともあります。相手が霊的真理を受け入れられなくても、その人のために祈ってあげることが大切であることがわかりました。

今日の利他愛の実践は、ため息が出るくらい納得できるものでした。そして同時に、明らかに霊的大人になりきれていない自分を反省しました。しかし、真理を知ったおかげで職場の人間関係や日常生活の中で、少し高い所から見ることができるようになりました。今回の実践内容を一つ一つ見ていくと、一般的に言われていることとよく似ています。しかし霊的真理に基づいているため、説得力があり、揺るがないものとして受け止めることができました。

最後の砦となるのは“信仰心”である、ということが印象深く心に残りました。また「相手の霊的成長という深い世界に一歩踏み込んで考えてみる必要がある」という言葉がありましたが、相手のためを思ってよくよく考えて行動しなければならないと思いました。

霊訓を人生の指針として歩める喜びをあらためて感じ、また真理を正しく理解することの難しさも感じました。霊界が準備してくださったこの読書会に参加できることに感謝しています。霊訓を手にしてすぐにぶつかった壁は、人のために自分が何をするか、ということでした。はじめは自分の感情のままに人に同情し手助けをしてきました。しかし、それが本当に相手のためになっているのかとても悩みました。いろいろと実践することで、自分の未熟さや傲慢さ、醜さを見せられ、摂理から外れていたことも教えてもらいました。
霊的真理を手にした今、それにそって実践することの大切さを実感しています。

霊的真理を手にしたものが、具体的にどのように生きるのかが分かったと同時に、大きな反省と課題を感じました。利他愛の実践は、自分で正面から向き合うことができないテーマでしたが、必ず通らなければならないことでありクリアしなければならないことであると確認できました。少しでも向上していきたいという前向きな気持ちになりました。

利他愛の実践には厳しさがともなうことをあらためて感じ、まだまだできていないことがたくさんあることを反省しました。今日の学びを日常生活に照らし合わせると、これから何をすべきかがおのずと見えてくると思いました。自分にできることから行動に移していく必要があると思いました。これから与えられる実践のチャンスを逃さないよう心がけ、真理を人に伝えていくときの糧にしていきたいと思いました。

利他愛の実践をしたいと思いながら、何をすべきかわからないし何もしないのもよくないと、モヤモヤした気持ちを持つことがあります。いずれ霊界から導きがあって利他愛のチャンスが与えられるだろうという他人任せの考えがあったと気が付きました。自分は「純粋に人のために自分を役立てたい」という思いが足りないので、実践のチャンスがまだ与えられないのだと思います。これからは、純粋な利他愛をしっかり持てるよう、自分を律していきたいと思いました。

スピリチュリストは、霊的真理を知らない人たちの手本ということになります。失敗もあると思いますが、それを恐れずに霊的真理にそった生活をしていきたいと思いました。また霊的真理の正しい理解と実践、神と神の摂理への絶対信頼(正しい信仰心)は、三位一体として強い相互関係にあることがわかりました。どれが欠けてもスピリチュアリストとして正しい道は歩めません。この3つを理解して、実践していきたいと思いました。

私たちは、霊的真理を学び正しく理解することで、霊界人と同じ霊的視野を持つことができます。私は、神の要素である利他愛を発揮できる霊になるために地上にきたと思っていますから、できるかぎり利他愛の実践を心がけていこうと思いました。

ずっと心の底から確信できる真理を求めてきましたが、今、こうして霊的真理を学べる立場にいることに感謝しています。そして正しい信仰心を持って、この短い地上人生を精いっぱい生きようと思いました。

今日は「人と触れ合う以上、利他愛の実践のチャンスは無限にある」ということを学びました。普段から相手の霊的成長につながるような手助けやきっかけづくりができるようにアンテナを張っていきたいと思います。霊的真理を手にしたスピリチュアリストにしかできないのが利他愛の実践と霊的真理の普及です。相手の霊的救いにつながる最高の奉仕ですから、自分のライフワークとしてやっていきたいと思います。


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