2014年10月19日学習内容

「シルバーバーチは語る」

8章祈りの効用

学習のポイント―――霊的真理に基づく“正しい祈り”

スピリチュアリズムに出会う前、皆さんは“祈り”についてどんなイメージを持っていたでしょうか? これまで何らかの信仰をしてきた人は、その教団で決められた祈りをしていたと思います。大半の人が“祈りをする人”が“信仰者”だと思っています。そして実際に、ほとんどの宗教では“祈り”を行います。

スピリチュアリズムでも“祈り”をします。シルバーバーチは交霊会の始めと終わりに神に祈りを捧げています。“神に祈る”ということは、スピリチュアリズムは宗教である・スピリチュアリストは信仰者であるということです。ただし、信仰の内容がこれまでの宗教とは全く違います。スピリチュアリズムは従来の宗教を超越した“超宗教”です。ですから“祈り”も、これまでの祈りとは違うものです。

シルバーバーチが説く“正しい祈り”を理解するためには、“神”に対する正しい知識が不可欠です。前回、シルバーバーチが解き明かした“神観”について学びました。シルバーバーチの神観はどれも画期的なものですが、その中の代表と言えるものが“摂理の神”です。

従来の宗教は、神と人間は直接的な関係にあると考えてきました。そのため人々は、神に直接「自分の願いを叶えて欲しい」と祈ってきました。しかしシルバーバーチは、神と人間の関係は摂理を介した間接的な関係であることを明らかにしたのです。

人間がいくら神に祈っても、神が直接それに応えることはありません。人間の願いがどんなものであろうと、摂理に応じた結果がもたらされるのです。つまり、摂理に基づかない祈りは間違いであり、いくら熱心に祈っても無駄なのです。これまでの宗教の祈りは、すべて的外れだったということです。

シルバーバーチは“正しい祈り”を次のように言っています。「真実の祈りは偉大なる霊的行為です。祈りはあくまでも手段であって、目的ではない」(P134)
正しい祈りは重要な霊的行為です。なぜなら祈りは、人間の一番の目的である霊的成長を促す手段だからです。これまでの宗教は、祈りは信仰の目的でした。例えばイスラム教では、1日5回、祈りをします。祈りをしなければ神との関係が切れてしまうと考え、祈りをしない人は不信仰と見なされます。イスラム教にとって祈りは、信仰そのものです。イスラム教にかぎらず、他の宗教でも同じです。熱心に祈る人が信仰心が篤い人と思われています。しかしシルバーバーチは、祈りは信仰の目的ではないことを明らかにしています。祈りは重要な信仰実践の一つですが、もし祈らなかったとしても、それで神との関係が絶たれてしまったりバチが当たるというものではありません。

シルバーバーチは「祈りの本質は、人のためのサービスという行為へ向けて魂を整えることです」(P133)と言っています。これがスピリチュアリズムの“祈り”です。利他愛実践へ向けての“心の準備”が祈りによってなされるのです。地上という物質世界で暮らしている私たちは、日常生活の中で心が物質に引きずられてしまいます。魂の曇りを取り除き霊を中心とした心に引き上げ、利他愛実践への意欲を高めるために“祈り”があります。私たちの祈りはこれまでの宗教のように、自分の利己的な願いを神に訴えるものとは全く違うのです。

この8章の中でシルバーバーチは、正しい祈りの見本を示してくれています。「祈りの言葉はたった一言しかありません。『何とぞ私を人のために役立てる方法を教えたまえ』 ― これです。『大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい』……」(P134)
私たちは、シルバーバーチに習ってこうした祈りができるように、道具としての決意を固めなければいけません。口先だけの祈り、決まり文句の繰り返しの祈りではなく、「人のために役立つような人生へと導いてください」「神のため、人々のために人生をすべて捧げます」と心の底から祈ることができるなら、神はその願いを聞き入れて、最高の奉仕のチャンスを与えてくださいます。常に心の中で祈りながら、よき道具を目指して歩んでまいりましょう。

参加者の感想

スピリチュアリズムを知り、摂理に基づいた祈りが少しずつできるようになったことに喜びを感じています。以前は的外れな祈りをしていました。祈りはあくまでも霊的成長の手段であって目的ではありません。実践が優先であることを忘れず、これからも人々のため、自分の心を整えるために祈りを続けていきたいと思いました。

読書会に参加して今日で1年になります。1年前の初参加のとき「神観」を学びました。今になって思えば、その時は全然理解できていませんでした。今は毎回、学んだことを家で復習するようにしています。
スピリチュアリズムに出会い、正しい神観を知ったおかげで、正しい信仰・祈りができるようになったことに、あらためて幸せな気持ちを感じました。「祈りは霊的行為である」という言葉が心に響きました。心のこもった誠意ある祈りを続けていきたいです。

祈りについて、はっきりと捉えることができていませんでした。今日、摂理と関連して学び、納得することができました。祈りの大切さがわかりましたので、自分を道具として役立てていただけるように祈りたいと思います。

祈りについて深く学ぶことができました。真理を知らない人たちや、間違った神観のもとで信仰している人たちは、本当に貴重な地上人生を無駄に過ごしています。正しい神観を知った自分は、正しい信仰・正しい祈りをして、霊界のよき道具となっていきたいと思いました。

今日一番心に残ったのは神観によって宗教や信仰・祈りが違ってくるということです。宗教によっては祈らないと不信仰と言われ、なかば脅しともとれるようなことをやってきました。スピリチュアリズムの正しい神観を知ることの重要性を心底、感じました。
実際の自分の祈りを振り返ったとき、間違ってはいないのですが、まだまだです。具体的に自分の言葉で祈っていくことができるようにしたいと思いました。

祈りが心を整えるものであり、自分の意思表示・決意表明であることが理解できました。朝、目覚めたとき、そして夜、眠りに入る前、また静かになったときに、自分の祈りを続けています。

最近やっと、毎日同じ時間に祈ることができるようになってきました。ニューズレターで学んだ祈りの言葉で10分間祈ることで祈りが生活の一部になるようにしたいです。
また、霊界からの導きを少しでもキャッチして自分に与えられた役目を果たし、お役に立ちたいと思います。心をこめて10分間祈るには、集中力と強い願望がなければできないことなので、私にとっては霊的修行だと思いました。

真理を手にするまでは、母の苦労を見ていたので、子供の頃から世の中は不公平だと思っていました。しかし霊的真理を知って初めて、すべてのことに納得がいきました。祈りの大切さ・正しい神観を理解できたとき、神の大きな愛に触れたような思いになりました。
毎日祈ることで、心を奮い立たせ、エネルギーを蓄え、人々の役に立っていきたいと思います。

シルバーバーチによって明らかにされた正しい神観を、自分の意識にしっかりと位置づけていかなければならないと思いました。そのうえで祈りを正しく実践していくことの重要性を理解することができました。今日の学びを自分の祈りに活かしていきたいです。

正しい神観をしっかり持つことが、正しい祈りにとってとても重要だということを学びました。スピリチュアリズムを知り、ご利益を願うことはなくなりました。これまで祈りについて深く学ぶ機会がなかったことと、祈りが日常になっていなかったので、これからは決まった時間に祈りをするようにしたいと思いました。日常では、肉主霊従に傾いてしまいがちですから、霊的意識を高め、魂を整えるために祈りと霊訓を読むことを続けていきたいと思いました。あらためて地道な努力の必要性を感じました。

宗教に携わる人たちの中には、純粋な思いで信仰に励んでいる人も大勢います。また真剣な気持ちでお祈りをしている人も少なくありません。しかし、多くの人たちが間違った教義によって摂理からはずれた祈りをしています。そうした人たちは純粋なだけに、本当にもったいないことだと思います。
私にとって祈りは、霊主肉従を保つための生命線となっています。また、霊界とのつながりを確認するひと時でもあり、霊的エネルギーを得られるとても大切な時間です。祈りを通じて心境を高め、霊界のお役に立てるよう頑張っていきたいと思います。


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