2014年6月15日学習内容

「シルバーバーチは語る」 

5章絶対的摂理の存在

学習のポイント―――幸せになるためには、どうすればいいのか?

私たちは、さまざまな法則の中で毎日を過ごしています。太陽が東から昇って西に沈み、夜には月や星が夜空を照らし、それぞれが天体の法則に従って動いています。地上には万有引力の法則があり、動植物もさまざまな法則の中で生きています。シルバーバーチはそうした法則を“摂理”という言葉で説明しています。今回は、神が造られた“摂理”について学びました。

“摂理”とは、神が霊界・宇宙・全存在物を創造するに際して、それらを支配し維持するために設けた法則・規則です。神が造られた法律・憲法と言えるものです。人間がつくった法律は時代とともに変化していきますが、神の法律は永遠に不変であり、例外は一切ありません。

シルバーバーチは次のように言っています。「私たちは大霊が定めた摂理をお教えしようとしているのです。それを守りさえすれば、物的生活(※地上生活)に健康と幸せをもたらすことができるのです」(P76)
高級霊たちは、霊的無知のために悲劇や不幸にあえいでいる地上人に、“摂理”を教えるためにスピリチュアリズム運動を計画しました。地上人にとって“摂理”を理解することは、地上人生を過ごすためには欠かせないものです。日本で暮らすためには日本の憲法を知らなければなりませんが、“摂理”を知ることは、それとは比較にならないくらい重要なことなのです。

さらにシルバーバーチは、神が定めた“摂理”を守りさえすれば、人間は健康を維持し、幸せになれるという重大な霊的事実を私たちに教えてくれています。“いつまでも健康でいたい”“幸せになりたい”というのは、すべての人間が望んでいることです。病気や不幸を望む人は誰もいません。では、どうしたら幸せになれるのでしょうか? 多くの人たちは、お金やモノがたくさんあれば幸せになれると思っています。しかし、お金やモノを存分に手に入れたとしても、果たして心から幸せだと感じることができるでしょうか?

結論を言えば、人間が幸せになるためには「摂理にそった生活をする」ということです。“摂理”は神が定めた規則ですが、それは人間の幸せのために造られました。神は、子供である人間に喜びと幸せの中で地上人生を歩んでほしいと願って“摂理”を造られたのです。神が一方的に支配するために“摂理”を造ったのではありません。一つの例外もなく、機械的に運行される“摂理”の背後には、全人類の親である神の温かい愛があるのです。“摂理”とは、人間が幸福になるためのシステムと言えます。神の摂理に一致した生き方をすれば人間は幸せになり、反対に一致しなければ(摂理に反すれば)幸せにはなれません。

一言で“摂理”と言っても、摂理は無数にあります。その中で、人間が幸せになるための摂理とは具体的にどんな摂理なのでしょうか? 人間の幸福と直結する摂理は“霊的成長”に関する摂理です。人間は、霊的成長をしているとき、心から幸せを味わえるようになっています。物的幸福ではなく、霊的幸福が人間にとっての本当の幸福です。 神は、人間が生きる目的を“霊的成長”と定めました。そのため人間は、永遠に霊的成長をなすように宿命づけられています。地上人生においても、霊界においても、すべての人間にとって霊的成長が大目的です。私たちは、霊的に成長しながら少しずつ高みへと登っていく霊的存在です。本当の幸福感は、霊的成長の歩みの中で湧き上がってくるものです。

“摂理”と“人間の幸福”と“霊的成長”は、一体関係にあります。

◆摂理にそって生きることで幸福になれる

◆幸福になるためには霊的成長の歩みをなしていく

◆霊的成長をするためには摂理に一致していかなければならない
これはシルバーバーチの思想の中心軸と言える内容です。

私たちは、真っ先に霊的真理を知ることができました。それは同時に、霊的幸福に至る道の出発点に立ったということです。真理を携えて歩む人生は、決して楽な道ではありません。さまざまな困難に行く手を阻まれることもあるしょう。しかし、真理にそって努力していれば、必ず幸せな人生を送ることができます。なぜなら、正しい行為は、正しい結果を生むという摂理は、誰にも平等に働くものだからです。

参加者の感想

神の摂理の一つである「自己犠牲の法則」が心に残りました。以前から自己犠牲について考えていたので、学ぶことができてよかったです。自己犠牲は、本当に相手のことを思わなければ実行できません。そのときそのときで内容が変わるので、とても難しいです。しかし、それに向けて努力したとき喜びになり、その喜びが次回も実行しようという勇気になるのだと思いました。

霊主肉従というと肉体ばかりに目が向いていたのですが、心の霊主肉従について考えることができるようになりました。私は宮沢賢治が好きなのですが、今日学んだ自己犠牲で、賢治の詩の一節を思い出しました。自分に必要な言葉だったことを実感しました。

例外が一切なく、機械的に働いている神の摂理は、神が人間の幸せを願って造られたものであることを学びました。霊界の人に認められたい、人の役に立ちたいと祈っても、反対の道を選択してしまうことがあり、自分は守護霊や神様から見捨てられてしまうのではないかと思うことがよくありました。しかし、どんな人間でも神から見捨てられることはないと学びました。これからは、自由意志で正しいものを選び、力強く地上人生を歩んでいきたいと思いました。

神は人間に「自らの判断で道を開きなさい。間違えたら自らの責任で解消しなさい。そして、苦難を味わい、困難を克服し、そこではじめて正しい道を見つけるでしょう。そこで得たものは本物で、その人の血肉となるでしょう。」と言っているのではないかと思いました。神は人間にだけ、自由意思という特権を与えてくださっています。我々人間は、それに応えるべく努力をしなければならないと思います。

利他主義をはじめとする神の摂理にそって生きていけば、大霊が望まれている調和のとれた世界が実現することを学びました。真の幸福は、霊的成長でしか得られないことを心に留め、両刃の剣である自由意志の使い方をより正しい方向に向けるよう、努力していきたいです。

神が造られた摂理は無数にあり、複雑にからんでいるため、私たちが理解できることは限られています。しかし、摂理にそった生き方をしていくことが霊的成長につながり、魂にとっての真の喜びに結びついているということが分かりました。職場でも家でも、自分のことを二の次にしたときの満足感は、お礼を言われなくても自分の中で大きな喜びとして感じられることを実感しています。

読書会に参加し始めた頃は、自分が霊訓にたどり着くまでの苦労話を聞いてほしくてしかたない自分がいました。自分だけが苦労していると思っていました。読書会で学んでいるうちに、誰もが苦労を乗り越えてここにたどり着いたことを知りました。私を成長させてくれるための苦労なのだと受け止めることができるようになったことを幸せだと感じます。

「摂理に順応した生活を送っていれば望み通りの結果が生じるようになっている」とありましたが、望み通りの結果が「霊的成長」であることを知り、理解が深まりました。

摂理の存在は、人間を苦しめるためのものではなく、神が人間を愛していてくれるという事実をベースとしたシステムであることが印象に残りました。どうすれば幸せになれるのか、そして自分の苦しみの原因は自分にあることを知ることは、とても重要なことだと思いました。摂理が存在することを知っただけでも人類にとっては大きな意味があることだと感じました。

スピリチュアリズムと出会い、神の摂理を知ることができました。そして自分が霊的存在であり、霊的成長をなしていこうと意識することができるようになりました。摂理にそって霊的に成長していくことが幸せになる道であることも実感できるようになりました。今日の学びで、スピリチュアリズムに出会った幸せを再確認できました。まだ霊的真理を知らない人たちに知識を手渡すために、今できることは何かを考え、実践していこうと思います。

人間が他の動物たちと異なる点は、自由意志を行使できる権限を与えられているということを学びました。なぜなのかと考えたとき、神が定めた摂理を学び体得するには、自由意志によって選択し、その結果を甘受するという方法が最も適切なものだからだと思います。しかし、これまでの地上には自由意志を行使する際の基準(摂理)に関する知識がありませんでした。霊的真理によってようやく摂理の内容が理解できるようになりました。この基準(摂理)にそって自由意志を行使できるように努力していきたいと思いました。

霊的成長に関する5つの摂理を学びました。この5つの摂理をさらによく理解し、実生活の中で活用していきたいと思いました。それが神から分霊をいただいた者の役割ではないかと思うからです。

地上の人間が、摂理と調和した生活を送りさえすれば、世の中のすべての悲劇や不幸、争いが消え、それに代わって霊的な幸せがもたらされることを確認しました。そして、摂理の完璧さと摂理の中に神の愛が宿っていることをひしひしと感じました。
私たち人間は神から自由意志を与えられています。自由にできるということは、それだけ責任がともなうものです。それは、神が私たち人間のことを信頼してくださっている証なのだと思います。その信頼に応えられるような生き方をしていきたいです。


TOP↑