2011年6月19日学習内容

スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

第9章霊は全生命の精髄(エッセンス)です(P195~P203)

「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より

 スピリチュアリズム的生き方の特徴(5)

学習のポイント

皆さんは“救い”ということについて、どのように考えているでしょうか? これまで宗教とは縁のなかった方は、“救い”という言葉を聞いてもピンとこないかもしれません。例えばこんなことを想像してみてください。皆さんが海で溺れてしまって、いくらもがいても上にあがれず、息ができなくて苦しくてもうだめだと思ったとき、救助の人が引き上げてくれて、息ができるようになったとき、どんな人も“救われた!”と実感すると思います。“救い”とは、苦しみや恐怖から解放され、安堵と喜びに満ちた状態になること、つまり“幸せになること”と言えます。

これまで地上人は、宗教に“救い”を求めてきました。人生で遭遇する苦しみや困難、恐怖から逃れ、喜びや幸せを得るために宗教にすがってきました。“救われたい!”という一心で、宗教に頼ってきたのです。神様や教祖を崇拝すれば、教義を信じれば、祈りや教えられた言葉を唱えれば・・・など、何かを信じれば、誰かが救ってくれると思い込んできたのです。

シルバーバーチはスピリチュアリズムがもたらそうとしている“真の救い”を次のように語っています。「救うのは我々ではありません。地上の人間の一人ひとりが自らの努力で救わねばなりません。」(P197)

“地上人類を救う計画・お手伝いをするのは霊界人ですが、実際に救われるかどうかは地上人の努力次第です”というのがスピリチュアリズムで示された“救いの本質”です。つまりスピリチュアリズムは「自力救済主義」なのです。これまで地上人が宗教に求めてきた“信じれば救ってもらえる”という「他力救済」の考えはまったく間違っていたのです。

私たちが“救われる”ためには、自らの努力と責任で“救い”に預かっていく他はありません。霊界人は地上人が救われるために、霊的真理という最高の道を伝えてくれました。あとは、地上人が霊的真理を受け取り、それにそう努力をしていけば、必ず救われる、幸せになれるのです。しかもその幸せは、地上かぎりのものではなく、永遠の霊的世界につながっていくものなのです。

先ほどの海のたとえで言うなら、真理を知る前の私たちは、霊的無知ゆえに、苦難の海で息ができず溺死寸前だったのです。見かねた霊界人は、最高の救助の道具を差し出してくれました。その道具をつかみ、ボートの上に這い上がっていくかどうかは、私たちの努力次第だということなのです。

“救い”は、一人ひとりが自力で掴み取っていくものです。差しのべられた“救い”の手をしっかりと握り締め、自分の力を振り絞って、最高の救いに預かっていきましょう。そして、まだ溺れている人たちへ、霊界の人たちと同じ立場に立って、救いの手を差しのべられる人間になっていきましょう。

参加者の感想

最近、道具意識が少し強くなったと思っていましたが、今日、「道具となる条件」を読んで、自分はまだまだ足りないと思いました。地上人の足りない部分を踏まえたうえで霊界は使ってくれます。自分をもっとも活かせる道が「道具になること」です。地上にいながらにして霊界と同じように適材適所で使ってもらえることを願っています。

「真実のものだけに精を出す」という言葉がありましたが、私がもっと霊界を実感できたら、霊的真理の普及に力を出せるのに…と思います。しかし、現実には霊界が見えないし、日々の生活にどっぷり浸ってしまっているので、なかなか真実のものだけに精を出すことができません。しかし少なくとも祈りの時間をしっかりとっていきたいと思います。

この1カ月は、「福音」をひたすら読みました。読んでいて「価値ある人間になりなさい。・・・」という箇所で涙が止まらなくなりました。この1カ月もいろいろなことに悩みました。いつも動機を考えて、自分を正すようにしました。迷ったときは守護霊に語りかけました。
今日学んだところでは、どうしたら霊界の道具になれるか、という疑問がいつも自分のなかにあったのですが、具体的なことがわかりました。道具になれるよう、祈りや瞑想を通して霊界との霊的パイプを強くしていきたいと思いました。

もう5年になりますが、新聞をとらずテレビを見ない生活をしておだやかに暮らしています。今日はネット中毒や携帯中毒という言葉を聞いて、電車の中でも携帯を離さない人を見て不思議に思っていたのですが中毒だと知って、理解できました。
「世の中の問題を霊的観点から見る」という訓練をすると、霊的判断力が深まるというお話があったので、これからは霊的観点から世の中を見ていこうと思いました。

真理との出会いは、霊界の導きだったことをあらためて感じました。
自分では「よき道具になりたい」と思っていましたが、どうしたらいいのかわからず時間だけが過ぎていました。はじめは「伝道しなければいけない、何か話さなければ…」という思いがありました。しかしそれは違うのではないかと感じて、真理をしっかり理解して自分を見つめなおすようにしました。それによって、焦りがなくなりました。「道具となる」ということの意味が少しずつわかるようになった気がしています。

「古いものを捨てなければいけない」とありましたが、古いものがたくさんあって、なかなか捨てられません。今はスピリチュアリズムにしがみついているのが精一杯です。全身全霊でよい道具になれるように努力したいと思います。
原子力については、対抗措置ができるとシルバーバーチが言っているので、あとは人類の霊性を向上させるだけだと思いました。

原発の問題については、軍事目的ではなく人類のために使用すれば、いずれ対抗措置ができると聞いて安心しました。
世の中に流れる情報は、一方だけしか流れないことがあるので、しっかりと霊的視点で見なければいけないと思いました。
人間が霊的存在であるという自覚や霊界の方々に使ってもらうにはどうしたらいいかということは、しっかりと意識しないとだめだと思います。ちょっと気を抜くと、意識が飛んでしまいます。毎日30分は霊的時間をとることが必要だと感じています。

原発の話は、いろいろな人たちが新しい技術を出してくれることを祈っています。
霊主肉従になりたいと思っていながら、まだまだできないところが多くて、悩みながら歩んでいます。昨日より今日は少しでもよくしようと思って、あせらずに一歩ずつ歩んでいきたいと思っています。

「真実なるもののために一直線に進む」という話がありましたが、言葉では簡単ですが、自分の日常生活を振り返ったとき、ほとんど真実から外れたところにあることを反省しました。しかし、1%でも2%でも真実のために費やすことができたら…と思いました。

いろいろなチャンスは与えてもらっていますが、どうもそのたびに力が入ってしまって、うまく道具として使ってもらえないことがあるのではないかと思います。今日の話にあったように、力を抜くということ、もっと霊界に委ねて、自分の今ある力や知識を使っていただく、というのが自然な形なのではないかと感じました。「肩の力を抜く」ということを学びました。
もっと守護霊や霊界との関係を太く強くして、役に立ちたいという思いを強くしました。

「スピリチュアリストという道具があってこそのスピリチュアリズム」という言葉が心に残りました。
地上人類を救うためにスピリチュアリズムが起こされ、一人一人は守護霊・背後霊によって常に導かれています。今こうして霊的真理を学び、実践のチャンスが与えられているのは霊界からの働きかけによるものとあらためて感じています。霊界から見守られていること、常に手を差し伸べられていることを知るだけでも価値観が変わります。
道具として自分の力を最大限に使ってくださいと祈り、そして現実に使ってもらうには、真理を正しく理解し、自分の足りないところを補うために真理の実践を繰り返していくことだと思います。自分を高める努力をして霊界の良き道具を目指したいと思います。

霊界の人々の謙虚な姿勢に触れるたびに、感動を覚えますが、今回はP203のシルバーバーチの言葉に心打たれました。
霊界の高級霊は、本来の所属界での生活を犠牲にして、地上人のために働いてくれています。霊界の人々は、自分自身への見返りを何一つ求めることなく、ただひたすら地上人の救いのために、すべてのエネルギーを傾けています。こうした犠牲を払った上で、さらに深い愛情を注いでくれているシルバーバーチや高級霊に心から尊敬の念が湧いてきます。また、シルバーバーチに見る謙虚さは、私たちが真理普及の仕事に携わるとき、忘れてはならないものだと感じます。ことあるごとにこの言葉を思い返し、本当の謙虚さを身に付けられるように、がんばっていきたいと思います。


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