2011年12月18日学習内容

「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より

5.超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズムの本質と特徴(2)

一年を振り返って

学習のポイント

今年もあとわずかとなってきました。世の中がとりわけあわただしい12月は、つい“物質中心”になってしまいがちです。新しい年を迎えるために、仕事や家事に追われ、毎日が“モノ”や“時間”に追われて過ごしてしまうことが多いのではないでしょうか? 私たちスピリチュアリストも地上で生活しているかぎり、周りに影響されるのは当たり前のことです。しかし、心は常に“霊的なもの”を中心としていなければなりません。

今回の読書会は、1年間の締めくくりとして、参加者の皆さんにそれぞれの“霊的学び”をお話していただきました。スピリチュアリズムに出会えた感謝の気持ちと、手にした真理を伝えていきたいという皆さんの意欲が、会場いっぱいに広がる読書会となりました。来年もさらなる成長のために、学び多い1年にしていきましょう。

参加者の感想

今年は、守護霊や霊界に意識を向けるよう努めました。
霊界を思い、霊たちに感謝の意を唱える回数が多くなるにつれ、地上的視点と霊的視点の両方で考えることができるようになってきました。驚きです。霊界の働きかけがわかるような気がするのです。日に日に霊界への信頼が確実なものになりました。
震災や原発、経済問題などからくる困難や苦難も霊的覚醒のために起こされていることが理解でき、日常生活で不要な心配をすることなく、安心して霊的人生を歩むことができるようになりました。
来年は、より高い霊界の利他的波長に自分の波動を合わせられるよう、道具意識を深め、自己犠牲に努めていきます。

この素晴らしい真理を手にできたのは、霊界の方々と同じ時代を生きている、あらゆる人々のおかげです。お返しをしたいと思い、霊界の道具になりたくて、霊肉の戦いに目を向け、内省的な努力を始めると、どんなことでも霊主肉従で事にあたれば、素晴らしい真理がそこにあり、魂の成長ができるという体験をさせてもらいました。
完全な摂理があり、一人一人にせつないほどの霊界の導き、働きがあり、余計な心配はしなくていいと思うようになりました。そう思えるのも絶対的信仰心のおかげです。
今は相手の魂の成長を心から願う自分がいます。地上人生の目的や何が一番大切か、どうしたら魂を成長させられるかまで明確にわかっているスピリチュアリストは幸せだと思います。どんな小さな働きでもいい、残りの人生をスピリチュアリストとして、霊界の方々と共に、人類のために働いていきたいです。

私は、霊訓の中で『地球は、学習のために通う学校です。その学習は比較対象の体験による以外にはあり得ません。日向と影、嵐と凪(なぎ)、愛と憎しみ、善と悪、健康と病気、楽しみと苦しみといった相反する体験を通して、その中での試行錯誤の努力を通して魂が磨かれていくのです』という言葉がとても好きです。
本当にその通りだと腑に落ちたとき、いろいろとあった自分の人生のすべてに感謝し、心から幸せを感じることができました。そして絶え間なく続く試練の時でさえ、守護霊の大きな愛と見守りを背後に感じ、乗り越えてこられたような気がしています。
また、読書会に出席するようになって『霊的視野(視点)』から物事を見られるようになってきました。自分や家族に何かが起こったとき、世の中の事件を見たとき、『霊的視野』によって判断したり対処するようになってきました。また『動機』も考えるようになりました。
そのことは、自分がちょっぴり大人になった感じがするだけでなく、魂からの心地よさを感じています。読書会によって深く霊訓を学べるだけでなく、決して変わることのない『真理』を土台とする中で、自分の内面も少しずつ変わってきたように思います。
私にとっての読書会は、日常の雑念を切り離し霊界との深いつながりを持てる場であり、この読書会への参加があってこそ1ヶ月の生活があると言っても言い過ぎではありません。

今、私の周りに何人か死と向き合っている人たちがいます。その人たちとは「苦しくて、辛くて…、でもどんなに辛くても魂までは絶対に傷つかないから…、自分たちで選んだ自分の人生、自分が耐えられるからこそ選んだ試練、頑張っていこうね」と話をしています。
その人たちが「スピリチュアリズムに出会えていなかったら、どうなっていたかわからない」と話をしてくれた時、本当に霊的真理にしがみつくしかないんだなと思いました。
常に自分自身にも言い聞かせ、何があろうと常に前向きに、この重苦しい肉体から卒業できる日まで頑張らなければと心から思いました。
本当にスピリチュアリズムに出会えてよかったと思います。

人間は確実に死ぬのにもかかわらず、「なぜ人間は、この世に生を受けたのだろう」という私の長年の疑問に、シルバーバーチが見事に応えてくれた時、これこそが、本当の教えだと確信しました。人間の五感では感じることができない“霊”が存在すること。そして、それこそが実体であり、肉体は永遠の生命の中の、ほんの一瞬の霊の仮の住まいであること。永遠の生命である霊は、さまざまな衣をまとい、その時々の試練を受け悩み苦しみながら、神の意図する方向へ努力すること。すなわち、神が創造された全存在は、究極的には一つであり、愛で結ばれなくてはならないこと。そのために、お互いが人のためになることをして、永遠の生命である霊を磨き上げていくこと。これが、この世に生を受けた目的なのです。なんと分りやすい教えでしょうか。
お陰様で生きる意味を教えてもらい、以前と比べると、死に対する恐れがなくなり、気力が充実するのを感じてます。私のような悩みを持った人に出会った時は、ぜひシルバーバーチの教えを伝えたいと思っています。
この分りやすい教えも、心を開いていない人は受け入れることはできません。現時点では、ほんの一握りの人たちにしか受け入れられないのが実状です。しかしその少ない人に出会える機会あれば、シルバーバーチのメッセージを、ぜひ伝えていきたいと思っています。本当に 素晴らしい教えに出会えて、よかったと感謝しています。

今年の3月から参加しています。朗読の後、解説を聴いて、テキストの数行に深い真理が含まれていることに驚き、自分の理解の浅さや誤りに気づき、また霊の世界の素晴しさを教えられました。
会を重ねるごとに霊の世界の底知れぬ奥深さ、はてしない広がりを感じて、いつかそこに還って往けるということが『希望』と『救い』なのかと思うようになりました。
読書会では、一人で霊訓と対しているのと違い、肉声で語られる解説が新鮮で心に深く響いてきます。きっとロンドンでの交霊会と通じるものがあるのだと思います。

人生は日向と日陰、静寂と嵐という二面性から成り立っています。今年は、3月11日に東日本大震災があったことから、それがよく理解できます。私は、大震災への対処も試練でしたが、加えて、12月にも仕事上の試練がありました。しかし、「嵐であろうと雨であろうとその雲の影には、いつも輝く太陽があることを決して忘れてはならない」というシルバーバーチの言葉にしがみつき、乗り越えることができました。
今年は、「自分を待ち受ける体験のすべてが、大霊へ近づく無限の道において手引きとなる叡智を教えてくれる」ということを例年よりもより強く実感しています。
霊的にちょっぴり成長の兆しが出てきたものと理解しています。ありがたいことです。

今年は、真理の理解を深め霊界との絆を強くすることを目標に歩んできました。この目標は、霊的人生を歩み、真理普及に貢献するためです。より多くの貢献をするためには、自分の霊的レベルを上げることが必要です。 レベルを上げる一環として、読書会は真理の理解を深められるだけではなく、霊的力を与えてくれます。この力が自分のレベルアップにつながれば、霊的真理普及のために霊界の道具として働くことができると思い、1年を歩んできました。 この1年、苦しいことも失敗もありましたが、少なくとも前向きに歩むことができたと思います。いろいろな体験をするのは、地上で生きているのですから当たり前です。苦しみは向上のチャンスですから、明るく前向きに歩んできたと思っています。 新しい年も、読書会で真理の理解を深め、日々の生活で真理実践に取り組み、貢献できるように一歩前進した歩みをしたいと思います。

東日本大震災を機に、仮に自分が被災者の一人であったら、もし家や持ち物だけでなく、家族も失っていたらどうしただろうかと考えました。霊的真理を知っている今の私なら、どんな苦難に直面しても、神や霊界の導きを疑うことなく現実を受け入れられると思いました。私にとってスピリチュアリズムは、かけがえのない存在です。スピリチュアリズムに出会い、初めて本物の愛に触れ、人のために役立つ喜びも体験することができました。この地上でスピリチュアリズムに出会えた喜びをかみしめています。
世の中の人々は、自分や家族の幸せのためだけに生きることを当たり前と思っています。会社や地域、また社会のために働くことは、自分が損をすると思い込んでいます。物質中心にしか物事をみることができないのですから、ある意味仕方がないと思います。しかし、今の自分はどんなに後退しても、そんな生き方はしたくありません。
私たちが霊的真理を手にできるのは、霊界からの導きはもちろんですが、先輩スピリチュアリストたちの多くの献身と犠牲があってのことです。さまざまな困難を経て、ようやく今、「真理の実践」という本格的な歩みができる時代を迎えています。実践を中心とした歩みができるという最も恵まれた時代に立っていることを自覚し、一日一日を有意義に過ごしていきたいと思います。
表現力に乏しく、歯がゆい思いをすることもしばしばですが、それでも真理を伝えたいという気持ちを強く持ち続け、次の人に手渡すことができるよう、真理の学習と自己コントロールに励んでいます。とにかくこれからも精一杯歩んでいくだけです。


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