2011年10月16日学習内容

霊性進化の道しるべ

第10章創造は無窮です(P226~P231)

「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズム」より

5.超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズムの本質と特徴

学習のポイント

私たちは霊訓の中で、霊的知識には責任がともなうことを繰り返し学んでいます。今日の学習箇所の冒頭でもシルバーバーチは「霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます」(P227)と語っています。「責任があることを思うと気持ちが重くなる…」という声を聞くことがありますが、地上人にとって“最高の霊的宝”と言える真理を手にしたのですから、その立場に見合った責任を果たすのは当然のことと言えます。もし「責任の重さ」に尻込みして、霊的真理を手放すようなことがあったなら、霊界へいって想像できないほどの深い後悔をすることになるでしょう。「責任がある」ということは、決して「重荷」ではありません。重荷どころか、責任を果たそうと努力することで私たちは成長することができるのです。

スピリチュアリストに限らず、地上人生の中ではさまざまな「責任」が発生します。たとえば、会社で仕事をしていれば、その人の能力や立場に見合っただけの仕事を任され、それに対して責任を持って仕事をしなければなりません。また家庭の中では、親として子供を養い、良識ある大人に育てる責任があります。人はそれぞれの立場で、さまざまな責任を負いながらこの地上人生を歩んでいくようになっています。会社で責任を持って仕事をする、親として責任を持って子供を育てる…など、「責任」を持つということは、会社の同僚や部下たち、自分の家族を目的にそった方向にリードしていかなければならないということです。人間は「責任」を持ち、それを果たそうとすることで、自分以外の人のためにエネルギーを費やし、それまでの小さな自分から一回り大きな自分へと成長することができるようになっているのです。「責任を持たせてもらえる」ということは、成長のチャンスをいただいた、ということになります。

地上において、最高に価値ある「責任」を負っているのがスピリチュアリストです。いち早く霊的真理を手にしたスピリチュアリストは、それを正しく活用し、まだ真理を知らない人々に、真理を正しく伝えていくという責任があります。「地上人類の救済」という目的にそって、霊界の人々と一緒に真理を広める「責任」を担っているのです。私たちは、会社や家族のために負う「責任」の何十倍、何百倍も価値ある「責任」を持たせていただいているのです。

こんな未熟な自分が、果たしてスピリチュアリストとしての責任を果たすことができるのだろうか、と弱い心が頭をもたげることがあります。しかし私たちは、今この地上に生きている70億の人間に先駆けて、霊的真理を知ることができた最高に恵まれた者たちなのです。「ごまかしは利きません。知識を授かったからには、言い逃れは許されません」(P227)とシルバーバーチが強い言葉で語っているように「真理を手にした」ということは、ごまかしも言い逃れもできない事実なのです。

私たちが、責任を果たすためには、自分を奮い立たせ、人類全体の「幸せ」ために働いていく決意をすることです。そして、ただひたすら自らを真理にそわせる努力をし続けることです。「真理にそえない自分」「足りない自分」を嘆くのではなく、足りないからこそ努力する、そえないからこそ、そえるように努力をするのです。利己的思いや地上的な打算を棄て、神と高級霊だけがわかってくれればいい、という純粋な思いで真理の実践に励んでいくだけなのです。全力を尽くしたなら、そのあとは霊界に委ねればいいのです。「責任」ある立場に立たせていただいたことに感謝し、自分を忘れるほどスピリチュアリズム普及にまい進していくなら、それが「責任」を果たしていることになっていきます。

参加者の感想

「知識が増えるにつれて責任も大きくなる」という言葉が印象に残りました。真理に出会ったばかりの頃は、うれしい思いばかりでした。しかしそれから時間が経っているのですが、自分はまだ「真理を手にしただけ」で甘えているように感じました。もっと厳しく考えていかなければと思いました。

今日は、「大霊の摂理はごまかせません」という部分がよくわかりました。お話にあったように「摂理通りにできなくても、とりあえず受け止めて、次に活かす努力をする」ということは本当に大事なことだと思いました。
霊的真理を知ったということは、マザーテレサやガンジーよりも霊界に直結した奉仕ができるという素晴らしさを、あらためて実感しました。

守護霊との関係を学び、特別な親和性があることをもう一度、確認できました。日常生活において、もっと守護霊と密接な関係を持って霊的水準を高められるよう、努力しようと思います。

私は、宗教とか信仰という言葉は好きではないので、スピリチュアリズムが宗教だとは思っていませんでした。しかしシルバーバーチを学んで、その言葉には合点することばかりです。霊界や永遠の魂について信じることができますから、その意味では宗教であり信仰であるとあらためて思いました。シルバーバーチの教えによって自分が変わったと感じています。これからも霊的教訓を活かしていきたいと思っています。

「進化の速度は地上生活ではおのずと限界がある」という言葉が心に残りました。焦らずに少しずつ成長していくしかないことを感じました。せっかくこの素晴らしい霊的知識を手に入れたのですから、自分は正しく理解してそれを活用し、人のために役に立っていきたいと思いました。この1週間、私にとっていい体験がたくさんありました。苦しいことも、悲しいこともすべていい体験だなと思うことができました。この体験を通して自分が霊的に成長し、苦しんでいる人のために役に立つことができればいいと思いました。

「人のために役立ちたいという願望が内部で燃えさからないといけません」とありましたが、自分の内部ではものすごく燃えさかって、人のために役に立ちたいと思い、行動したのですが、「霊界の道具」になるのではなく、「人間の道具」になっていました。方向を間違えて苦しいことになってしまいました。読書会に参加して3年目になりますが、まだ真理が身についていません。毎日真理を読んで自分に染み込ませていかなければならないことをつくづく感じました。

今日は皆さんと同じように、ずいぶん耳に痛いことが多かったです。「ごまかしも言い逃れもできない」ということが心に残りました。真理がわかっていてもそれに従わず、苦しいままのほうがいいと思うことがあります。しかしそれではいけないと感じました。今、そういう時期になったのかもしれません。後ろから押されるのですが、一歩を踏み出せないでいたので、その一歩を踏み出そうと思いました。

霊訓に出会ったときに、この知識を活用すれば人の役に立つと思いました。真理を知る前は、自分を頼ってきてくれた人に自分の持ち物をあげれば、それが愛だと思っていました。霊訓に出会って、人のためになる知識を与えることの重要性を学び、それまで自分がやってきたことが間違っていたことに気がつきました。さらに最近気がついたことは、霊訓を知ったばかりの頃は、困っている人を見るとすぐに、こうした方がいいよ…などと話していました。今は、霊界の仕事の邪魔をしないよう、相手の魂の成長につながるように動こうと思えるようになりました。真理を知って7年になりますが、やっと少しだけ変われたと思い、うれしくなりました。

自分の人生も神の計画の中に組み込まれているので、今回の人生で真理を知ることができたのも、神の計画の一環であると思いました。
スピリチュアリズムに出会って一番感じたことは、霊界がある、守護霊がついていてくださる、ということです。日常生活の中で、霊界や守護霊に意識を向けて、できるかぎり摂理にそった生活を心がけるようにしています。
私は以前、ある宗教に入っていましたが、人にそれを知られるのがイヤでした。しかしスピリチュアリズムの信仰は間違いのないものです。神様を信仰するのは当たり前であると思います。

わくわくしながら学ぶことができました。
自分のイヤな部分を克服するために生まれてきたのだから、頑張ろうと思いました。
スピリチュアリズムに出会ってから、両親を亡くしました。もしスピリチュアリズムを知らなかったら、たいへんなことになっていたと思いました。いつも首の皮一枚でつながっている状態で、まだ危なっかしいですが、なんとかしがみついてやっていこうと思っています。

シルバーバーチを学んで生活が豊かになり、人のために役に立ちたいという強い思いを持てるようになりました。正しく学びたいという強い気持ちが起きてきて、一つ一つのことに対処するときに、霊界はこの事象をどう考えるのかと思います。「自分の道具」ではなく、「自分を霊界の道具にする」という気持ちを持って生活したいと思っています。
今日の守護霊の話で、霊的親和性について学びました。この一生を二人三脚でやっていくのですから、守護霊の存在を強く意識しながら生きることが非常に大切だと思います。ですから、自分は朝と夜に守護霊に挨拶をしていますが、もっと強い結びつきの中で、頑張っていきたいと思います。

スピリチュアリストとは霊的真理を実践しようと努力している人のことだと学びました。地上で真理を実践することはエネルギーがいります。思うに任せないこともあります。しかし、真理実践の努力を続けることで、霊的真理を知った責任を果たすことができます。スピリチュアリストの責任とは、真理を活用することと、人に真理を伝えることですから、日々、真理の実践に励み、真理普及のために貢献していきたいと思います。

「霊的に見たとき唯一、間違いのない教えを説いているのはスピリチュアリズムだけなのです」とありましたが、私もその通りだと思います。霊的摂理・シルバーバーチの霊訓を絶対信頼できることは、本当に幸せだと感じています。 スピリチュアリズムは実践を重要視していますが、真理に対する信頼と確信があると自然に実践の意欲がわいてきます。読書会の後、スピリチュアリズムに導かれた喜びを感じたり、真理普及の思いが高まりますが、それは、霊的真理の理解が深まり、真理に対する確信と信頼が深められたからだと思います。学ぶことの大切さを感じました。学びを深めつつ、実践を意識してさらにがんばっていきたいと思います。


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